「侘茶の大成」千利休

なぜ、戦国武将は戦勝の褒美として領土の代わりに「茶器」で満足したのか?
「御恩と奉公」、鎌倉時代より続く武士の主従関係。戦に勝った武将は領土を主君より賜ることを目的としていたはずなのに。

このことは下賜された茶器=証券と考えると理解できる。すなわち、堺の武器商人でもあった千利休の裏書のある茶器は領土と等価な価値があるとされていた。「有事のドル」と同じ理屈で、武力に裏づけされた信用は、中世の日本でも、その価値が認められていたという事のようだ。

そして、秀吉が小田原征伐を終え国内統一が実現した1590年、その翌年には、もはや信用創造の必要性が無くなり、千利休は賜死した。

茶器という価値を配下の武将達に提供できなくなった秀吉は、新たな領土拡大を企て朝鮮に出兵していくこととなる。

というのが侘茶にまつわる解釈だというのだが、本当なのだろうか?
説明としては面白いが、まだいまひとつ腑に落ちない…