もうひとりの村上、春樹氏がエルサレムで演説したわけ

歳も近いし、苗字が同じというだけで対比されるのもなんだけど、昨日の村上龍氏と同世代の村上春樹氏。エルサレム賞受賞にともなうイスラエルでの彼の講演「壁と卵」が、イスラエルによるパレスチナ空爆を非難しているとも取れる内容で、賛否両論話題になっていた。

講演に臨んだ理由を春樹氏自身が今月の文芸春秋で語っていて、印象深い。


外国語からヘブライ語に翻訳された外国語の小説としては「ハリポッターシリーズ」に次ぐ人気の春樹氏の小説、イスラエルの大統領自身、「ノルウェーの森」を演説の中で引用するほどのファンなのだとか。春樹氏の演説では「卵の側につく」と述べた彼の考えは暗にイスラエルパレスチナへの攻撃を非難しているわけで、その演説を聴いた大統領の顔はみるみるこわばっていった。演説後には立ち上がって人々が拍手、終了後には市長が春樹氏の元に来て、作家としての彼の行為に敬意を表したのだとか。

春樹氏自身もエルサレム賞を受賞するかどうか、ずいぶんと悩み、演説の原稿をイスラエルに送って、承認されなければ、受賞を辞退するつもりだったのだと。そして、おおくの知人が辞退をアドバイスするなか、最後は誰にも相談せず、彼自身が受賞と演説を決断した。

春樹氏は叔父から「君は話はしないで、本を書いている方がいいね」と助言されるほど、スピーチが苦手、そういえば、彼がマスコミの前に姿を現すのを僕もみたことがない。それでもエルサレムで演説することにを彼は作家としての使命と考えたのだとか。


純粋な理屈で語られる強い言葉の前では、個人の誠実さに根ざした思いから発する言葉というのはとても弱くみえて、学生運動の盛んな時代には、そのような言葉を放つ人達は、日和見主義と糾弾され排除されていった。強い言葉で語られた理想主義を求めた学生運動は、最後は赤軍派内ゲバを経て、自壊していった。

そんな体験も春樹氏が「システムと個人」との関係を考え抜いて、「私は、たとえ正しくなくても壁ではなく、卵の側につく」といわしめたエルサレムでの彼の演説につながっている。

ホロコーストで殺され石鹸となってしまった仲間達の歴史を背負っているユダヤ人、そのユダヤ人たちも、また個人(卵)がシステム(壁)の犠牲者となったと彼はいい、イスラエルを一方的に非難しているわけではない。

「体制やシステムと、ひとりひとりの人間の心との関わりは、僕が作家として一貫して書き続けているテーマです。」という村上春樹の言葉、彼がなんのために作家としての行を続けているのか、その一面が理解できた文芸春秋のインタビュー記事だった。

カンブリア宮殿」のようなTV番組を持って積極的に発言する村上龍、滅多にマスコミの前に姿をみせず、自分の作品を通じて作家として生き様を見せてくれる村上春樹、60歳近いこの二人、共に目が離せませんなあ。