便利さと引き換えに効率の奴隷

スマホの料金プランを変えたら、通勤途上でスマホをいじる機会が減った。

常時接続のインターネットが手のひらにある。この便利さに慣れてしまうと、ついつい調べずには居られなくなる。

朝は天気、列車の遅延、駅での乗り換え、リアルタイムで分かるダイヤの乱れ。たかだか、1分やそこらの遅れでも駅での乗り換え時間に余裕が無いと、乗るべき電車を逃してしまう。

これは本当に便利なのだろうか?
気がつけば、乗るべき電車に駆け込む自分がいて、絶えず急かされ、自分の意志や感情を置き去りにして効率と秩序の奴隷になっている

月7GBまで使い放題の契約で3GBで終わってしまうと、なんだかもらいそびれたお小遣いと似た残念な気持ちになってくる。そして、新しい使った分だけプランだと外でネット接続控えてから、家で見ればいいじゃないという姿勢に変わりつつある。

車窓からボォーっと富士山を眺めているとその冠雪に気がつくし、心に浮かんだよしなしごとをこうしてmixiに帰宅後綴るのも悪くない

朝の車中で登校途上の高校生の男子ふたり
片手のスマホをいじりながらの雑談、たった2分という短い間に、目まぐるしく話題が変わる。パズドラ、愛子さん誕生日、テスト答案を親に見せるか否か、イカした駅員が居たの居ないの、等など。

若い子達のスマホの画面は目まぐるしく変わる。ブラウズされた画面が何個もあって、あっちいったりこっち見たり、勿論、割り込んできたLINEには速攻で返事。ちなみに、LINEの返事は三文字以内ですますのが昨今のお作法らしい。
「りょ」「おつ」「おこ」「てへ」

Twitterの40文字なんて長すぎて読めない。mixiなんて言わずもがな(笑)

どうせ短くするなら、季語を入れて五七五で表現出来たらいいのに、即時応答が習慣となった彼らの将来が心配ではある