満員のアルプススタンドと炎天下のマウンド

夏の甲子園が開催されている、正式には全国高校野球選手権大会
トーナメント方式で勝ち残った高校野球の県代表チームが甲子園での最後の戦いに望む野球の試合

甲子園が始まると、子供の頃、下着姿でテレビの前で扇風機を回しながら一日中、高校球児を応援していた父の姿を思い出す。
わざわざ真夏の炎天下でスポーツをしなくても良さそうなものだが、夏の風物詩として位置づけられてる高校野球は父のような観戦者にとって、開催時期は夏しかありえず、主催する朝日新聞にとっても、終戦記念日、お盆、と日本人が過去の悲しみと向き合い、郷里に思いをはせるこの時期以外での開催は議論の対象にすらなりえない。

日本の高度成長期と呼ばれた時代
都市は多くの地方出身者を受け入れ、労働者の大多数は8月のこのお盆の時期に故郷に帰った。田舎に帰ることのできなかった人達は甲子園に出場した郷里の県の代表の活躍にテレビの前で応援に熱中していたのだと思う。

なぜ野球なのか、なぜ真夏のこの時期なのか、なぜ県の代表なのか、なぜ甲子園なのか。

高校野球が支持されてきた背景には故郷への想いを重ねる観戦者がいたのではないか

試合が始まる前の5分間でNHKは各県の地元の局が取材した祭りや観光地等の地域の持つ特色を紹介する。それはまるで週末ののど自慢大会の導入部ようだ。
新聞は各チームを取材し連覇だったりチームを支える裏方の苦労話だったりと読者の感動を誘うエピソードを載せる。

マスコミの役割は事実を伝える事であって、感動話は週刊誌の仕事という批判はありそうだけど、購読者の減少を食い止めるのは、わかりやすい心を揺さぶる物語。

ネットの時代となり新聞やテレビのニュースを鵜呑みにする人達を情弱と揶揄する人達はスマホで情報を収集するけれど、そんなネット住人は既成のマスコミの顧客となりえない事は明らかで、購読者や視聴者が何を求めているのか、その彼らの関心を引きつけておけるのは感動の物語

そして今日も生の感動を求めてテレビの前で甲子園に見入っている視聴者に向け、心揺さぶる記事を新聞社は作り上げていくのだろう