「騎士団長殺し」を手には入れたけど…

この日記を書き始めてから今月で10年になった

古い日記には、当時のマイミクさん達とのやりとりが事細かく記載されていて読み返すとその頃の記憶が蘇りとても懐かしい気持ちになる。
既に多くのマイミクさん達は他のSNSに引っ越しされていて、寂しいような気持ちも無いわけではないけど、mixi社自身も日記よりゲームで稼ぐようになっている事もあり、この場が持っていたもかつての賑わいは消えつつある。

とはいえ、昔を振り返るのにはここmixiは捨てがたい

2009年6月の日記を読み返すと村上春樹の「1Q84」を読んで思い巡らした様々な事柄が遠い記憶となって鮮明に思い出されて感慨深い

そして、その村上春樹の7年ぶりの長編「騎士団長殺し」が出版され、電車内での長時間の移動での退屈しのぎもあって、特に書店でページを繰る事もなく山積みとされていた二冊を購入、この週末には読み終えてしまった。

きっと、まだ手にとってすらいない人もいるだろうからネタバレにならない程度にその感想を述べてみたい。

この本を読み始める前に、「村上春樹の面白さって何?と聞かれても答えようはなくて、質問者と自分の嗜好が違うんだな、そう感じるだけ」なんて言葉をつぶやいてみたら、10人近くの人にリツィートされて、ああ同じ感想を持っている人もいるのかなと思った。

でも、一方で、自分がいつか村上春樹をツマランと思う日が来るだろうという自覚もあって、実は、この新刊本がもしかしたら、その来るべきピリオドとなる本なのかも知れないと読後に感じた。

初めて村上春樹を読む人にとっては面白いかも知れないけど、古くからの愛読者にとっては登場人物が今まで書かれていた物語の登場人物とかぶってしまい、新しい刺激の乏しさに不満が生じてしまう。

40近い章から構成されているこの新刊本、一つ一つの章には、その章だけで完結した短編集として味わう事もできる程に良く描けていると思うし、一人称で書かれているこの本は初めて彼の著作にふれる読者にとってはとっつき易い作品といえると思う。

これだけの章があるのだから、ひとつの章くらいならネタバレも許していただけるだろうと思い、心に残った章にひとつだけ触れてみたい。

一方的に妻から離婚を言い渡された主人公が、家を出てしばらくでて彷徨の末、みずからの荷物を取りに帰宅した時の事

かれは冷蔵庫の中身がかつては存在しなかった冷凍食品で埋め尽くされている事に気がつく場面がある。

村上春樹の小説には料理を作るシーンが多い
それは彼自身が料理が好きだという事もあるだろうし、料理というのが家族の絆の象徴として描かれている事でもあるのだと思う。

この主人公が住んでいた時には彼自身が料理をする事もあり、冷凍食品はなかった、なのに彼が不在となり冷蔵庫の中身が変わった事は何を意味するのだろう?

料理に対するこだわりの違いが彼女を離婚へと決断させた一因となっていたのでは、とこの記述をみて思った。

手料理を作り食べる事に価値観を見出していた主人公である夫
一方で手料理へのこだわりが、ひとつの呪いとしてまとわりついているように感じていた妻

なんだかそんな事を離婚に至る原因のひとつとして著者は描きたかったのだろうな、というのが僕の感想

料理へのこだわりって、その人が日々の生活を大切にしたい、そして家族との絆を大切にしたい、そんな思いが伝わってくる。

でも一方で、料理よりも、絵画を書くこと、小説を読むこと、歌をうたうこと、により価値を見出す人だっているわけで、それは結局のとこ人生の味わいをどこに見出すかの差でしか無いのだろうと僕は思う。

この新刊本、人に勧めるかどうかと尋ねられたら、まずは書店にて数章読み進めることを推奨したい。

そこで展開される世界はいつもの村上ファンタジー
それを面白いとおもうか否かは読者次第

話題なっているから、百万部売れているから、そんな事はどうでもいい
大切なのは自分の感性に訴えかけるなにかが、あるか、ないか、それだけだと思うから