サザエさんのスポンサーはきっと降りるだろうな東芝は


先週末、金曜日午後に一人で一時間程話さなきゃならない報告会があって、手元に缶コーヒー置いて乾く喉を潤しながらで、乾燥には気をつけていたはずなのに終わった時には喉がいがらっぽくなっていた。

その夜、都心での飲み会で旧交を温め、また翌土曜日にも中華街での新年会と二連チャン。日曜の昼間には別段支障なく出掛けたものの、帰宅してからの夕刻よりあれよあれよと全身倦怠感に包まれ夕食後はもはやベッドから起き上がる事もしんどく思える程の体調。月曜朝には7度8分の体に鞭打ちかかりつけ医へ。診断はなんと生まれて初めてかかったインフルエンザA型。

薬を飲み、ベッドの中で眠ること8時間、夜には平熱となっていたのはタミフルのせいか。風邪とは全く異なるこの急激な変化。インフルエンザは風邪とは違うのよ、とはこの事だったのか

平熱に戻りはしたものの自宅待機2日間

驚いたのは2月14日の東芝の記者会見
昼12時に四半期決算発表の予定が急に中止になり、最後は夜6時半に正式決算発表は延期と通達、理由は原発事業を巡る損失が7000億円もあり、損失額について監査法人の同意が得られなかったからとのこと。その損失を社長が知ったのが去年年末で更に米国子会社において内部告発があり調査中なのだとか。

当初、東芝は優良事業の半導体の株の一部売却(二割)により3000億円を調達して債務超過を免れるつもりだったが、この原発事業の損失により半導体事業の全ての株を手放す事も考えざるを得ないと方針変換、さらには、この3月末の債務超過を回避するのを諦め、半導体事業の売却先をじっくり見極める事とし東証一部から二部への降格も受容する事となりそうだ。

140年の歴史を持つ一流企業、東芝に何が起きてしまったのだろう

事の発端は14年末のSESCへの東芝内部からの原発事業での不適切な会計処理についての告発。これにより15年5月8日に決算発表を延期する事になり、「チャレンジ」と呼ばれる粉飾で2200億円の利益水増しが後に明らかとなり、7月21日には歴代三社長が辞任する事となった。

その後、医療事業をキャノンへ売却、青梅事業所閉鎖、等資産売却を進めて心機一転立て直しを図っていたはずなのに、06年に6000億円で買収したウェスティングハウス(WE)の子会社での損失で一気に債務超過となってしまった。

過去の経緯をたどると、06年に資産2000億円のWE社を買収し企業規模の拡大を目論むがリーマンショックによる赤字で当時のN社長が09年辞任、その後継者として原発事業出身のS社長が着任。その後両社長の確執により13年にT社長が就任した。S社長誕生はWE買収での実績をN社長が高く評価したからであり、T社長はN社長がPC事業を担当していた時の購買担当だったというから、一連の人事にはN社長の思惑が強く働いただろうと推察される。

S社長は東芝が日立の後塵を拝する事が許せず企業規模の拡大を目指し、制御不能な海外企業の買収によりその野望を果たそうとした。

かたや日立に目を転じてみると、その業績のV字回復に活躍したのが09年より5年間社長と会長を務めた川村氏の名前が上がってくる。03年に子会社に飛ばされたが、その手腕を買われて本社に呼び戻された川村氏。
99年に乗り合わせたANA機がハイジャックされ、非番の機長らの行動により命を救われた事に感銘を受け、自分自身も日立の立て直しに責任感を持ってのぞんだという。その経緯は「ザ・ラストマン」という彼の著書に書かれていた。そして、会長の座を降りた後には顧問につくこともなく潔くその身を引いた。

企業規模に大小はあるけど、優良企業というものは存在しえないのだとこの両社を比較して思う。
それは企業の優劣ではなく、経営者の優劣なのだろう
かたや粉飾決算が明らかとなり辞任した後も本社に個室を持ちハイヤーでの送迎を続けた経営者と業績の回復に目処を付けその身を引いた経営者と。

東芝の場合、もし福島の原発での事故が無く、原子力発電建設工事のコストがかさむこともなく、新興国での需要は増え、N社長の野望通り、原子力半導体を軸とした巨大企業となり得ていたかも知れない。

しかし、経営に「if」なんてものを振り返って省みる意味などなにもない。

今置かれている現状を正しく認識して、辞めるべき事業からは撤退すべきだし、誤った判断は直ちに見直すべきだ。それが出来ないのなら後進に道を潔く譲るべきだろう。

福島原発廃炉には欠かせない東芝の技術
半導体事業の価値は一兆円を超え、技術優位を保てている日本の数少ない半導体事業の一つ
安全保障の一躍を担う国策として原発を続ける意味
連結で20万人の東芝社員の雇用

JALが倒産した時以上のインパクトがこの東芝の再建にはある気がしていて、目が離せない