平和な今のままがいいのだけど… 「東京プリズン(赤坂 真理著)」

今年は戦後70年、国会では安保関連条約が審議され、集団的安全保障という聞き慣れる言葉が話題になっている

赤坂真理という同世代の作家の紙面に載ってたコメントに興味を覚え、彼女の著書「東京プリズン」を読んでみた

学校で教わる日本史がなぜ近現代史の手前で終わってしまうのか?
聖徳太子憲法より、なぜ戦争に至ったのかを教えるほうが大切だと思うのに、戦争はいけない、二度と過ちを繰り返してはいけない、というスローガンだけで社会の授業は終わっていた。

あの戦争を総括する事無く、敗戦国日本は、戦勝国米国に追従している、という風景が続いている

この小説は彼女自身の米国留学での挫折が土台となっていて、16歳の女子高生が「天皇には戦争責任がある」という立場で留学先の米国の高校でディベートをさせられる話が山場になっている。

1980年代の米国、電話をかけるのはコレクトコール、ディズニーランドは日本には無く、豊かで自由な国、あの当時、僕もそんな印象を持ち、米国で働く事に憧れを持っていた。

小説に描かれている巨大スーパー、車社会、大きな冷蔵庫、自分の意見の言いやすい環境、小説の中で主人公が抱くアメリカへの感想が自分の感じた事と似通っていて共感できる部分が多かった

ただ、小説としては、現実と幻想とが入り混じったエピーソードが主題と無関係に展開するので、読みづらく、端折りながら結末まで一気に読み進め無いと混乱する。

最近、戦前生まれの両親が戦争の頃の記憶をぽつりぽつりと話だした。昔は尋ねても戦争の話題は避けていて聞き出せなかったのだが。

小学生だった父は疎開先から一人で船に乗って帰ってきたとか、母の苦労話とか…

戦後、両親は米国や欧米での暮らしを間近に見て、その豊かさに圧倒され、結果として日本も経済的に繁栄できたためだろうか、戦争相手だった米国への恨みなど聞かされた事はない。

一体なぜ日本人は鬼畜米英から、ころっと親米的になってしまったのか。この小説のテーマの一つはそんな日本人の変節をペリー来航や天皇制にも触れながら論じようとしているけど、いまひとつ結論は導けていない

玉音放送は「朕は帝国政府をして、(中略)共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。」と天皇の言葉を流した。これは帝国政府の上位に天皇が在る事を表しているのか、なのに戦争責任は無いのか。

そして、日本国憲法には主語が欠けている

主語(I)が無いと文章として成立しづらい英語に比べ、主体を曖昧にしても違和感の無い日本語

don't you mind sitting.
I'll let you go back to your study
日本語に訳すと奇妙な、でも英語では自然な言い回し

主人公が、様々な言葉の表現に、ひとつひとつ反応している様は、自分と似通っていて共感を覚える

戦争体験を語れる人は近い将来いなくなる
いままで通りの米国とのつきあいかたでいいのか
隣国とどう付き合うのか

とりあえず、今の平和な時代がいいのだから、いままでのままでいようよ
というのが国民の気持ちなのだろう

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