ランチを共にするのは普段は同じ職場の同僚。

先週ふと交わされる会話を傍から観察してみたくなって、聞き役に回って会話に加わる頻度を下げてみた。
仕事で繋がっている男同士の会話は、効率が正義で、話題が食堂のご飯の炊き方であるにせよ、政治経済であるにせよ、その底流にはいかに上手く仕事を進ませることができるか、そこが話のゴールになる。綺麗とか素敵とか、そういった感情を伴わない会話が続くといささか心が乾いてくる。

読書も同じで、ここの所、硬い本が続いたので、なよなよとした文章に触れたくなり、て久しぶりに村上春樹(女のいない男たち)なんぞを読んでみた。

彼の小説を読んでいると、かつて自分が見聞きしてきた事、あるいは友人から得た思い出話、そういった諸々の記憶が呼び起こされて心地よい。それに一人ひとりの人物描写が丁寧なので、この本を電車の中で読んでいると目の前にいる乗客たちの物語が自ずと心に浮かんできて、街の風景が違って見えてくる。

6編の短編よりなるこの本についての感想を事細かに書き連ねるのは、これから読むだろうという人に余計な先入観を与える無粋な行為だと思うので避けたいが、これらの短編のうち一つでも自分の人生と重なり合って、想い出を喚起されるとしたら、それは幸福なひとときとなるだろう

以前日記でも取り上げただろうか
 中国行きのスロウ・ボート
 東京奇譚集

これらの短篇集を読み終えた時には新たな発見があった

でも、今回の『女のいない男たち』は、登場人物にも物語そのものにも新鮮味が乏しい

それは、著者がネタ切れなのか、あるいは、老いた自分の感受性の衰えなのかは分からない

村上春樹という人はどんな生活を送っているのだろう?と興味を持たれている方には、読者からの質問メールにこまめに返事を書いている、このサイトを紹介したい

http://www.welluneednt.com/

きっとこの絵のまんま、コーヒーを片手に、ドーナッツを頬張る猫とじゃれながら、羊さんの薦めてくれたLPレコードでジャズを聞いているだろうなと思う。

音楽とスィーツと挽きたてのコーヒーがあれば、人生それで幸せじゃないのとこの絵は語っているようにもみえてくる