『日本人を考える』民俗学と呼ばれるエッセイ
文明の衝突の中で、日本文明が世界の中で八大文明のひとつにカウントされていた事に刺激を受け、日本の文化について考えてみたくなった
宮本常一という民俗学者の著書を二冊ほど読んだので、その読後感想文をまとめておきたい
『日本人を考える』
『なつかしい話、歴史と風土の民俗学』
これら二冊
戦前から亡くなる1981年まで1200軒以上の日本の民家に宿泊し江戸時代から引き継がれてきた人々の暮らしの記録を書き留めた。平成になり地方都市はイオニストやマイルドヤンキーという言葉に象徴されるようにミニ都市化されてしまっている。
昭和の時代の風景は今や記録として留めておくほかなく、写真家の木村伊兵衛や映画監督の今村昌平らの作品で、往時を偲ぶほかない
などと年寄りじみた事を書いてはみたが、自分自身、児童と呼ばれる頃には五階建の社宅住まい、道は舗装されていたし、田畑に囲まれた田舎暮らしに馴染みがあるという訳では無いのだが
それでも、自然に恵まれた日本の風土が私達日本人の気質を形作ってきたであろうという事は想像できる。
とまぁ、そんな事を思いつつ、日本の原風景と歴史に思いをはせながら、読み進めるとエッセイとして楽しめるのが民俗学という学問なのだろう
本文より印象に残った文章をピックアップ
幕末の日本、人口3300万人、うち3000万人が農民、150万武士、階層は、この対立だけ。農民内での庄屋、小作は世襲ではなく持ち回り。農民一揆は首謀者は処罰されるも要求は通る。
農村と縁を持ってた都市住人、農村からの物資援助、お盆の帰省、断ち切られたのは昭和35年。
日本人は土地に密着していないと生きて行けなかった。30坪の小さな家を建て住み安心する。それは、一人一人のスケールをこじんまりさせると同時に一応生活に責任を負うという態度ももたらす。この事が日本の近代化を促進してきた。
今村等代議士の卓見。政府がコンクリートのアパートを作りたがるのは危険。木造で棟割のありふれた家に住まわせ、地につけて、地域社会を念頭に行動させないと、土から離れてしまい統制できなくなる。
都市プロレタリアートが形成されず盆暮れにはくにへ帰る、土地への執着を上手く利用した明治政府の近代化成功の理由。昭和の時代も不景気時は農村へ労働者を返す。昭和35年頃から労働力が不要になり都市労働者層が形成され、裏日本側からは人がいなくなる
盆暮れには里帰り、夏休みのUターンラッシュの風景は夏のニュースの定番だ。会社の知人は親の介護のため早期退職して里へ戻ると行っていた。
都市で暮らす多くの人々にとって、戻るべき里、というのは必ずあるものらしい。転勤族だった自分には、特にこれといった郷里と呼べる場所はない。
明治維新後の近代化を支えたのは地方の農民達に対する教育制度であり、戦後の高度経済成長を成し遂げたのも都市での経済的豊かさを地方にうまく還元できた列島改造論にあったのっだと聞いた事がある。
宮本常一のこの著書を読んで、あらためて、日本の地方の持つ歴史を振り返り、この土地で暮らす人々の文化をないがしろにして国を豊かにする事って無理なんじゃない、とそんな事を思った
グローバル資本主義などという地に足の付かない理念だけの文明は日本には根付かないだろうと
肩がこらない、民俗学って面白い