内田樹著『街場の共同体論』

文明の衝突は読み応えのあるボリュームだったので、少し肩の力を抜きたくて内田樹著『街場の共同体論』

内田氏が一貫して主張しているのは、アングロサクソン的な信賞必罰に頼った社会は住みにくいから、昭和の時代の隣近所が関わりあって、困り事を片付けていたような暮らしを見直そうよという事。クリエイティブで目立つ仕事ばかりでなく、雑用に過ぎない、でも誰かがやらなきゃいけない、雪かき作業って大切だよね、という事

教育についての彼の論説が面白かったので、書き留めておこう

『行政とメディアと保護者が学校教育における父権制的な要素を除去してしまい、先生はコンビニの店長と化し消費者となった生徒達は代価である学習努力を最小化しようとする』

ジャイアンがいなくなった教育現場では、いじめの加害者と被害者が頻繁に交代する。同調圧力の高い子供の世界では少しでも個性的なものが出現してくると、その子がたちまちターゲットとなる』

学ぶという事は本来楽しい事であるはずなのに、勉強の結果に見返りを与えてきた事で、生徒たちは消費者として振る舞うようになり、最小のコスト(学習努力)で多くの見返り(単位だったり成績だったり)を得る事が正義と理解するようになってしまったとの事。

僕らの子供の頃、ガキ大将というのは必ずいた
体の大きい、勉強は苦手な男の子というのが相場。いじめられ役というのもなんとなくいたけど、新聞作りにはまっていた子、漫画のイラスト描くのが得意だった子、いつも先生側に立つ委員長タイプの子と顔と共にその個性が思い浮かぶ。

『マニュアルを精緻化する事で、社会は、どうしてよいか分からない時に、適切に振舞う、という人間が生き延びるために最も必要な力を傷つけ続けている』

共同体が持っていた知恵、地域や家族、それが市場経済の中に取り込まれ、値付けされた事で交換可能になった事。戦後、西欧の資本主義社会を採用した日本の社会の帰結と著者は捉えているのかも知れない

ほぼ毎日利用するコンビニ
「Tポイントカードはお持ちですか?」
「レジ袋はご利用ですか?」
「お支払いはエディでよろしいですか?」

毎回同じ順番で交わされるお店と客とのやりとり

いっつも同じなので、いっそ「Tカード、レジ袋不要、支払いSUICAで」とか一気に申告したらお店側は楽できるかなと思いきや、イレギュラーな対応をすると「トレーニング中」という名札を付けた店員はフリーズする。

マックはあの読みづらいメニューから選び出すのが苦手、後ろで並んでる人からのプレッシャーもあるし

あえて言えばスタバの方が対応がファミリアで良いのだが、お客によっては半端ないカスタマイズリクエストがあるらしく対応を求められる店員は大変らしい(笑)

効率を追い求めた日本だが、あえて約束事を崩す、そこに味があるのかも知れない

内田氏は合気道の師匠をみつけ、弟子として学ぶことの喜びを感じているという

学ぶという事は生徒がその価値を判断出来ない事を伝える訳だから、レジメだのジョブディスクリプションだの言うのはオカシナ話。
この師匠に師事すれば成長できる予感がする。
それだけで充分。

合気道について述べている文章の中で『居付いたら負け』という一節があった。居付く、というのは同じ構えを続けるという事、変化する事で状況に応じた最適な身構えに移ることを意味している。

武道で良く使われる 居付くという単語

人生の中でも変化を受け入れることをやめ進歩を避けたら時代の進歩に取り残される、という事を意味しているように思えた

今の自分は『居付いていないだろうか?』と自問自答していたのだった