資本主義もひとつの洗脳と言えるのではないか?

いま生きる「資本論佐藤優著 を読んだ

中国では政治家や官僚が私腹を肥やし、いづれ国を捨てる日に備え米国に家族を移住させたりしているという。それに比べてニッポンは?と、あたかも清廉さの違いがその国民性の相違にあるとでも言いたげな本が書店に並んでいる。

でも、この『いま生きる資本論』に書かれているのは、資本主義の初期の段階では収奪がある、という事。つまりは、収奪により、資本が資本を飲み込んで巨大な資本となって剰余価値を独占していく。

搾取と収奪の違いは、搾取が相手の合意の元に行われるのに対して、収奪が暴力的に相手の許可なく奪い取ること。

確かに、明治維新で資本主義社会となった日本でも、官営設備の払い下げで大きくなった財閥もあったと聞く。

日中の差は、別段民族の品位の差、という訳では無さそうだ

この佐藤優氏の本が面白いのは彼が体験したエピソードが随所に出てくるから

人間の経済には三種類(贈与、相互扶助、商品経済)あって、という例え話として出てくるのは彼の故郷久米島では今も贈与と扶助が商品経済と同じ比率で島の人々の生活を支えているという逸話。

また、ロシアでは通貨の代わりにタバコが使われていたとか、25倍のインフレも互助で切り抜けたとか、実体験が描かれていて分かり易い

16世紀の寒冷化でグリーンランドから草花が消え、牧羊が流行り、追い出された農家が都市で労働者となった事がイギリスの初期資本主義に役立ったという話も興味深い。

マルクスの『資本論』は読んだことは無いが、この佐藤氏の本を読むと、おおよそ理解できた気になる。

そして、私達が、結婚したり、子供を育てたり、住居や教育に資金を投じるのも、資本主義を支える常識に縛られているからだと気がつくようになる。

資本論』によれば、労働力商品化のポイントは、次代の再生産、学習費用、衣食住と娯楽、なのだそうだ。

平たく言えば、資本家が支払う賃金は、食べられて、労働者として使い物になる程度に勉強してもらい、子供を育てる、という事を満たせれば、いいのよ、という事らしい。

政府が少子化問題とか晩婚化とか大騒ぎするのも、資本主義国家として体をなさなくなる事を恐れてのこと。

子供なんて育てる面倒くさいし、自分のためにだけ金使ったって、老後はお金あればなんとかなるんだから、それでいいと悟った国民が増えたら一大事。

あらためて、自分たちが正しいと思うこと、その常識すらも疑ってみたくなる。今から200年も前に資本主義の原理を読み解いたマルクス、流石だなと思う