朝日新聞と産経新聞の通勤途上読み比べ

通勤時間が片道100分もかかるので、昔は一日往復している時間で文庫本一冊読み終えることもあった

スマートフォンを使うようになってから、ついつい、電車内でもあっち行ったりこっち行ったりとネットサーフで時間を費やすようになってしまった

最近始めて面白いなと思っているのが、同一発行日の朝日と産経の記事の読み比べ

産経はネットで無料で読めるようになっていて、最新のアプリでは、紙面のスクロールだけでなく記事をクリックするとテキスト紙面が表示されるよう改善されたので電車内で片手で紙面を繰るのも楽になった

朝日新聞の姿勢は政権批判と弱者に寄り添った記事
慰安婦問題での謝罪以降、新聞社としての立ち位置をどこに定めるのか、まだ固まらないように見えるけど、記者の署名入りの記事を増やした事は読み手として親しみが持てる

産経新聞は社説の「正論」というタイトルが示す通りで、経済、政治、のあり方については世界の趨勢に習うというのが方針のようで、理念を掲げるだけでなく、例えば政治についても具体的な解決案を、根拠を明確にした上で提示する、という姿勢で記事が書かれている。

例えば、先週の国家予算についての批評も、朝日は「増税先送り、社会保障策が一部凍結 高齢者にしわ寄せ」というタイトルで社会保障費の増額が見送られた事を指摘したのに対して、産経は、「財政健全化への取り組みも前進」と政権に対して前向きな評価をしている。

マスコミはどのようにあるべきなのか?

事実を正確に伝える事が唯一の役割であるのならば、日本経済新聞に勝る紙面は無いだろう。しかし、事実の裏に隠された、あるいは底流を流れる変化も大衆に伝え、コモンセンスとも呼ぶべき、人々の常識を涵養する事も、人と人とが交わりながら支えあう近代社会の骨幹として必要なのだと思う。

電車の中で、新聞を縦に半分に折り、更に横に半分に折って、コンパクトなサイズにしてつり革につかまり新聞を読む、そんな都心の通勤風景は、最近では見られなくなり、そもそも、若い人達は全く新聞を読まない

紙という媒体がスマホというオールマイティなハンドヘルドコンピュータに取って代わられた今、ネットに漂う玉石混淆の数多の情報がコモンセンスの構築に大きな役割を果たしている事は言うまでもない

朝日新聞産経新聞いづれは、社名から新聞という文字が消えるのではないか?

高速でネット接続可能になったLTEと、PC並みの高速CPUと大容量メモリを搭載したスマホの普及はそれ位のインパクトがあると思う