「日本人はどう住まうべきか?」都市と田舎と、震災後の日本の風景

「日本人はどう住まうべきか?」
養老孟司隈研吾の対談集

養老先生の甘ったれるな中年、「自分は何のために生きているのか」そのおカネをどう使いたいのかが、まずあるべきだと。という日経の記事に触発されて、そう言えば、養老先生と隈研吾の対談集が面白そうだったなと思い立ち、書店で探し求める。

お二人とも同じ鎌倉にあるカトリック系の中高一貫校の出身
本の中身は、震災後の日本人はどう住まうのかというテーマだけど、最初に読んだ後書きが面白くて購入。

聖書に立ち返れという原理主義プロテスタントに対して、まずは布教活動のためにアジアに行け、というのが現場主義のイエズス会。理念に踊らされる事無く、解剖学というリアルな死体を通じて仕事を学んだという養老先生。様々な建築の現場を経験しながら、自然という現場と向き合う建築家の隈研吾先生。お二人の思想形成においてイエズス会の果たした役割は大きかったという隈さんの指摘。二人の対談は、話題が多岐にわたり、誠に刺激的。

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黒い石油に支えられた白い郊外の住宅という夢は米国が作り出した虚像。石油を消費しながら移動せざるを得ないマイカー文明。経済の発展とはエネルギー消費の増大と不可分という事が指摘されたのは60年代以降なのだとか。そんなアメリカンドリームがサブプライムローン危機とともに潰えて、消費に支えられた文明の進歩というのも、これで終わるのだとか。

石油なんぞに頼らなくたって、生活はできるのよと上げた例がラオスブータン。米作りなんて一年に一度で十分、最貧国と世銀からは名指しされるラオスだが、あくせくしなくったって人は生きていけるのよと。

都市という秩序でがんじがらめになった場所を定期的に離れ、「土」に戻って暮らす、参勤交代を勧める養老先生。コミュニティというのは人工的に作り得るものではなく、そこで暮らす人たちが、だましだまし、空間をいじりながら、集うことで、にぎわいが生まれてくる。戦後の闇市から発展した商店街が今も残る日本の街中。

岡山には65歳以上の老人だけで暮らす限界集落が100以上あるとか、でも、それはそこで暮らす事が心地がいいからで、ただ問題視するだけのマスコミの視点はずれていて、自給自足の暮らし、そこには日本の未来の姿があるともいえるはず。

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老後の年金が心配、高齢化社会が心配、年金改革、消費税増税と、将来への不安ばかりが報道される昨今。別にお金なんか無くたって、幸せに暮らしている人達が世界を見渡せばいるわけだし、日本にだって、エネルギー消費型の暮らしから離れれば、そこそこに暮らしていける知恵はあるもの。

都市の秩序から、少し距離を置きたいと思っていた所だったので、ツボにはまった面白い本でした。