「恋愛学」だそうな

2011年12月18日21:55

このところ結婚を巡る話題が多くて、昨日も恋愛学で早稲田で教鞭をとる教授からお話をうかがった。

『普通のダンナがなぜ見つからない?』
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111208/293108/
という、このコラムにもあるけれど、結婚となると愛があれば誰でもいい、という事にはならなくて、愛+諸々の条件+双方にとってのメリット/デメリットというのも鑑みて、生涯(?)の伴侶を決める事になるようだ。

結婚する人が減ったのは、「家」という明治以降に導入された概念(もしかしたら国家の都合で)が、力を持ちえなくなったからだ、と指摘している人もいた。

今朝の新聞の書評に、渡辺淳一がフランスのように「事実婚」を認めたら、婚姻という堅苦しさに縛られないから、「愛」が広まって、もっと住みやすい社会になると、そんな本『事実婚新しい愛の形』として出したと書いてあった。

結婚とか家とか、その時々の社会の情勢というか要請によって、あり方は変わるもの。まずは、ひとりひとりが幸せにならなければならないなと思う。

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定年後に稼ぎがなくなって定年暮らしになった途端夫の権威は失墜すると昨日の話でも聞かされたが、渡辺淳一の『孤舟』にもその姿が上手く描写されていた。家に居づらくて犬を散歩に連れ出しても、なんだか同じような境遇の隣人に出くわしてどこにいても居心地が悪いのだとか。

定年を迎えた知人は、帰宅した妻に「留守番はふたりはいらないわね」と暗に、外に出よと催促されたと言っていたが、たしかに、朝から晩まで家に居られて、昼飯はまだか、なんて言われたひには、ストレス溜まって熟年離婚、というのもありそうだ。

先日お会いしたご婦人は、50歳の時に離婚して、60歳になった今は自分で稼いだお金で世界中を旅しているとか、言っていた。30過ぎのお子さんも自活されているとなれば、無理して結婚という形式にとらわれる必要もないのかも。

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などという話を書き連ねていると、結婚なんかしなきゃ良さそうなものだが、いくらネットが発達してソーシャルネットワークで寂しさが紛れるとはいえ、キーボードから温もりが伝わるはずもなく、声や気配や、身近に動物(もしかしたら猫でもいいかも)が居て欲しいというのは生物としての本能なのだろう。

それにしても、やれ統計がこうだ、政治学から応用した条件交渉だと、いろいろ聞かされても、恋愛は学問として教えるのには無理がないかい?と思った昨晩の講義。

大事なのは、学問より実践でしょ 
まぁ、数が多けりゃ、いいというもんではないけれど(笑)