アナログ放送が終わろうとする今、亡くなった原田芳雄

アナログ放送が明日の正午に終わる。
時代はデジタル、高画質

でもちょっと待って欲しい
鼓膜を揺する音も目を刺激する映像も、どれもみんなアナログで、人がデジタルを感じることなんてできやしない。そりゃ、まぁ、マトリックスみたいに頭の天辺に電極差したら別だけど

デジタル放送とかDVDとかデジタルカメラとか
なんでデジタルにするかといったらば、「時と時間を超えて、人に音や絵を伝えるため」

その伝える道中で、ノイズっぽくなったり、歪んだりと、キズものになるから、そこをデジタル技術とか使うと、元の絵や音がきれいに再現できる、と、こういう仕組み。

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先週、原田芳雄が死んじゃった。
屋根裏部屋で着物きて鉄道やってた髪もじゃのオヤジが、なぜか心に強く印象に残っていた。子供の頃、あのドラマ見て(ニ丁目三番地とか三丁目四番地とか、だったらしい)、ああいう大人に憧れていた。
主役の石坂 浩二も浅丘ルリ子も印象薄いのに。

この手の昔のドラマはyoutubeでみつかるものだけど、彼が出てたドラマは見つからず、そもそも、ほんとうにそんな役をやっていたのか、自分も記憶に自信がない。
でも、まぁ、いいじゃないか、僕の記憶の中の原田芳雄が、勝手に僕が作り上げた幻だったとしても。

記憶というのは、本人にとって、都合良く上書きされていくもの
いつまでも色あせずに残ってしまうデジタルの記憶というのは、なんだかとてもつまらないなと思う。

デジタルはたしかに、過去を忠実に再現するのかも知れないけど、再現された絵も音も、そこにはなんの思いもこめられてはいなくて、勝手に自分の記憶の中で作り上げたものを真実だと思うなら、それならそれでいいではないか。

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形ある万物は風化し失われていくのに、忠実に再現の可能なデジタルだけはいつまでも複製されるって、どこか不自然

死んだのちも、記憶に残り形を変えて、人々の心に生き続けるとしたら、それは、まさに真実なのだと思う。

原田芳雄さん、さようなら