家族のにおい

村上春樹の小説で、「食」と「家族」についての印象的な描写がある、という僕のtwitterに、極東ブログfinalventさんから付いた(ツィッター)コメント「春樹さんの小説は家族のにおいがない。」
うまい指摘だなと思う、この短い文章の中にこめられた意味を考えてみたくなった。

1Q84の二人の主人公、青豆と天吾。
小学生時代のこのふたりの家族にはにおいがない、熱心な宗教信者の母親や集金員としての職務に忠実な父親や。家族とどう接するかということより規範に重きをおいた、どこか渇いた家族の風景。
その匂いを求めた結果として青豆と天吾が迎えた結末があるんじゃないのかな

人の家には独自の匂いがあって、赤んぼのいるうち、老人だけの暮らしの家。住み慣れている人は気が付かないのだろうけど、初めて訪れた人はきっと気が付く、そんな匂いがどこの家にもあるもの。赤子のミルク、料理の油、布団、ベット、トイレ、靴、犬、猫、ストーブ、エアコン、魚、味噌汁、自家製パン。子供の頃、田舎のおじいちゃんの家にいくといつも線香のにおいがした。だから今でも線香は田舎の記憶と結びついている。記憶を形作るとっても大事な要素として匂いは欠かせない。

最近は消臭ばやりだけど、いろんな匂いを消してしまったら、家族、そのものの存在も薄いものになってしまいそうだ。

失われた匂いを求める個人の魂の物語
村上春樹ワールドのひとつのテーマなんだろうな。