暑い夏に想う文明化の象徴、「靴」のこと

インドを旅した友人の日記を読みながら、近代的な文明生活は「靴」を履く事で始まったんだなと思った。

夏になると、日本でだって、公園で子供達が水浴びをしながら遊んでいる。暑いアジアの夏にとって水は欠かせない。

インドでは川や湖で洗濯もすれば沐浴もする。その川に入る階段につづく広場では「靴」を履くことが禁止されているという。
靴を履かない生活、着流しの着物の生活、梅雨の多い日本では草履に着物というスタイルは、きっと随分と楽なんだろうなと思う。

文明は道をアスファルトで埋め、地面にのがすべき熱気を大気中に放出して、街を焦がし、エアコン無しには、日々の生活を送ることすらできないようにしてしまった。

洋装が奨励されたのは鹿鳴館明治維新以降、インドのように先進西洋諸国の植民地となるか、西洋を追って国力を高め国の独立を護るか。日本は後者の道を選んだわけだ。

木村伊兵衛の写真展で昭和初期の沖縄那覇の市場の写真があって、未舗装の道路を裸足で歩いている人もいて、草履がふつう、靴を履いている人はひとりもいなかったのが印象的だった。靴を履かない生活って、そんなに遠い昔のことではなかったんだなって。


インドや中国はこれからの発展が期待される国、日本の経済発展のためにはこれらの国々での市場開拓が鍵なんて経済評論家の皆さんはおっしゃるが、あの何億人もの人々が皆、「靴」を履いたらいったい世界はどうなってしまうのだろう。

そりゃ、アメリカみたいな砂漠に人が集まって、2億人もの人を暮らせるようにするには、まず車の走れる道路をバーンと作らなきゃ街はできないんだろうけど、車もアスファルトもなくったって、何億人もの人がすでに暮らしているインドのような国がアメリカの後を追いかけるのって間違ってないかな。

文明化、経済発展、それらを単純に「善」と認めてしまっていいのかしら。
エコロジーだの、ロハスな生活だの、地球に優しいサステイナブルな生活だの、難しい事いわなくったって、インドでは、そんな生活ふつうだよといわれそう

今年の夏のこの暑さはいつまで続くのだろう
今日もエアコンいれなきゃ家にもいられませんわ