新潮社の季刊誌『考える人』に掲載されてた村上春樹のロングインタビュー

1Q84』Book1とBook2はかなり面白くて、昨年の日記にも直接その本の内容には触れなかったけど、その物語に影響されて感じたことを10日も続けて書いてしまった。

さて、その続編のBook3はどうかというと?
読み終えたのだが、印象が薄い

Book1 Book2 で広げた大風呂敷を、ひとつひとつ畳んでいくストーリー展開と書評にかかれていたけど、たしかに、そんな感じかな。

この『考える人』のインタビュー記事の中で著者自身が語っているように、Book3に、1や2で感じた刺激を期待して読み進めると、たぶんガッカリする。3はかなり読みにくいし、むしろ、その読みにくいゴツゴツとした描写に著者のこだわりがあるとのこと。

話の展開よりも、著者の作家としての描写へのこだわりを探しながら読んでみるのが、Book3の楽しみ方なのかもしれない。

なんて事を感じてはいるものの、今の僕の気分は村上ワールドに浸りたい気分とは遠い。殺人もあれば家庭内暴力やカルトもある、1Q84の物語、これらを題材として取り上げることが人の本性に迫るための手段のひとつであることは認めるものの、今はパス、かな。たしかに、村上春樹の小説はある種、麻薬みたいなものかも、と思う。

エルサレム賞受賞のスピーチで彼が『卵』と『壁』、言い換えると、『個人』と『システム』、の話をしていたけど、『卵』よりの気分の時には読みたくなるけど、『壁』よりの発想をしている時には、あの世界には惹かれない。


『考える人』の中で、彼が語っていた印象的な言葉…

会話は全てを語ってはいけない、大事な事は言い残すこと、小説も一緒。
パラフレーズ(言い換え)によって、主題を繰り返し登場させるが、描写しきってはいけない。書き残しを意識すること。それは読み手の想像力に委ねることでもある。

村上春樹の小説は中身が無い、という意見もあって、それはきっと解釈を読み手に委ねているからなのかなと思った。

1Q84』の解説書、というか書評集、みたいなのを読むと評論家の解釈がまちまちなのが面白い
解釈が分かれる、というとこが、まさに村上春樹の小説の面白さ、なのだろう。