『天使と悪魔』、TVもネットも無かった中世の時代


あの時代の人達にとって教会というのは唯一のメディアだったのではなかろうか。キリスト教の聖書に書かれているのは、何をしてはいけないか、どう罰せられるのか、だからどう行動すべきか、という事を教え諭すための物語、と聞く。
人々は説教を通じて司祭の口から語られる物語に耳を傾け、仰ぎ見れば、光輝くステンドグラスにはその物語の一場面が散りばめられ、そして、祭壇を飾る彫刻も物語のリアリティを強く印象付けたに違いない。
当時、唯一の彩り豊かな装飾、心揺るがすものをエンターテイメントと呼ぶなら、中世の時代、それが存在したのは唯一、教会。

「天使と悪魔」という映画は教皇が亡くなったローマが舞台となっている。誘拐された四人の司祭が次々暗殺者の手により殺される。古代の書物と教会の彫刻に暗示的に示された場所で殺人が1時間おきにおきる。その暗示された謎を解くアメリカ人の教授とスイスの反物質の研究に携わる女性学者の二人が犯人を追う、というのがこの映画のストーリ。

その古代の書物(アーカイブ)は教会の地下にある酸化防止のために密閉された倉庫に所蔵されていて、その書物からヒントを得て、過去の物語と繋ぎ合わせて謎を解く。かつて、教会は知の拠点でもあったということか。

「宗教と科学の対立」もこの映画のひとつのテーマ。迫害された科学者達の組織した秘密結社イルミナティが教会に復讐をする、というのがこの映画の主題でもある。地動説を唱えたガリレオの例でも思うのだが、キリスト教のような一神教を信じている西欧人が、同時に、徹底してプラグマティックであり、その事が科学の発展に寄与した、というのは興味深い。

対立は進歩をもたらす、というのが歴史の示すところなのだろうか。