『それでも僕はやっていない』 加瀬亮、周防正行、二人とも、いいねぇ


それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]

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裁判とは何か、それをこれほど分かりやすく提示している映画はないんじゃなかろうか。
裁判員制度が始まって、いつ裁く側に立つ事になるのか分からないわけだし、一見の価値のある映画。

なぜ有罪率が99.9%なのか、無罪判決を出すことがどれだけ難しい事なのか。
自分の出した無罪判決が上級審で有罪となったら、出世に響くし、裁判官は常時200件近い案件を抱えていて、審理をいかに早く終わらせるが仕事の評価基準になっているとか、そうなると、さっさと有罪にしてしまおう。
そんな気持ちが冤罪を生む結果になっているのかも、と思った。

主役の加瀬亮の言葉を借りれば、
「裁判というのは真実を明らかにする場ではない」
「法廷で提示された証拠を根拠に、合理的な判断をとりあえずするのが裁判」
つまり、裁判官が誰であっても同じ判決が出る事が期待されて、個人が主観を排除して判決文を書くのであれば、そういう方法しかないという事。

裁判官は分かってくれる。やってない事(真実)は自分が一番良く分かっているのだから、きっと無罪になる、そういう考えがいかに甘いか、そういう裁判の実情をこの映画はきちんと伝えている。
加瀬亮、いい役者だな〜

この映画、前々から評判になっていたし、いつか見たいなと思っていて、そのまま忘れていた。

久しぶりに見る気になったのは監督の周防正行が引退を表明した妻草刈民代と共に、あるTV番組に出演しているのを見たから。
この監督、『それでもボクはやっていない』という映画の前に撮ったのは、さかのぼる事10年前の「Shall we ダンス ?」 いったいこの長い時間何をして食いつないで来たんだろうとサラリーマンの僕は思ってしまう。

その番組の中でも言っていたけど、彼は撮りたい映画しか作らないのだそうだ。普段は何をしていたのかな、やっぱりバレエダンサーの草刈民代のヒモみたいなもんなのかな。それでも、こういう伝えるべきテーマのある映画を残せるのだったら、ヒモでもいいよな。生きる事の意味が、「何を残したか」という事にあるとすれば、彼はこの映画を作って、それを成し遂げた気がするから。

草刈民代と並んでいるとパッとしない、どう見ても付き人にしか見えない周坊さんだけど、自分が作る映画に対する思い入れ、仕事に対する強いこだわりを持っているのだろう。人は見かけじゃ分からん。