能力に見合う所得は得てないと思う、「ハドソン河の奇跡」の、あの機長

ある職種の年収を高く維持するにはどうしたらいいか。それは、本人の能力の問題ということではなくて、需要に対して供給を絞ることなんだろうな、なんてことを思った。「ハドソン川の奇跡」と呼ばれる快挙が先週NYであったわけで、離陸直後のエンジン停止というトラブルを乗り越えて、見事滑空して着水を成し遂げたかのベテランパイロットの年収はいくらなんだろう? 日本の航空会社の機長の年収は平均2300万円とかで、航空会社の倒産もある米国では、そこまではもらってないんじゃなかろうか。

日本のパイロットが高給取りなのは、たぶん航空大学の卒業生の数がニーズに対して安定的に抑えられているからだと推察している。それに危機の時の安全性確保のために日本人しか機長になれないという事にしておけば、グローバル化による給与の価格破壊なんていうのもおきないのでパイロットにとっては好都合。だから、きっと、高収入を得ている人たちのモチベーションというのはいかに同業者を増やさないか、ということになるのだと邪推している。

これって、医学部の定員の増加に反対して今の医療崩壊を招いた医師会や弁護士の増員に反対している弁護士会なんかとも一緒で、自分らと同じ資格を持つ人が増えたら結局は仕事が減って年収が下がるから、嫌、とそんな話なんじゃなかろうか。

能力のある人が高い年収を得られるとするならば、じゃ、なんで高学歴ワーキングプアと呼ばれる博士課程は出たものの、職にあぶれて、やむなく、コンビニでバイトしながらポストの空きを待つオーバードクターが社会問題化するの。10年で2倍になった博士課程入学者、やっぱり能力あっても、需要が無ければ仕事には就けず、文科省のお役人が机上で描いた理想論が空回りしているのか、それとも、欧米のように博士号持つ経営者が少ない日本の社会の特性なのか、理由は分からぬが。

難しい資格を持っていれば高収入が約束されるとは限らず、安易に他人の言葉をあてにせず、世の中の動向をよく見極めながら、職種は自分で選ばないと、なんて思ったり。

それにしても、あの「ハドソン川の奇跡」の機長、かっちょいい
オバマの就任式に招かれたりはしないのだろうか