共産主義社会では、繁盛する旨いラーメン屋は生まれんだろうな、きっと

やっぱり、冬はラーメンと思い立ったので、午前中スタバで読書して午後から出社。途中で立ち寄ったラーメン屋でランチ。豚骨をベースとしたあっさりとした透明なスープとやや太めの麺、ラーメンに春菊というのは初体験だったけど、この春菊の苦味がチャーシュのこってり感の後はあっさりとした味わいに感じられて、なかなかよくあっている。

カウンター席で左隣に座っていた20代と思しき男の子達ふたり

夜のシフト勤務を変えてもらうかとか、来月は派遣切られちゃうかもとか、係長のだれそれは意地悪だとか、親には2万円しかいれてないからそんなに生活はきつくないとか、別に聞き耳立てているわけではないのだけど耳に入ってくる、狭い店内だしね。僕の隣の子が、「ドバイで生まれた子供達は働かなくても生活していけるらしい。やっぱり共産主義っていいんじゃないか。無理だとは分かっているんだけど。」なんて事を言っていて、最近小林多喜二蟹工船がハヤリというし、共産主義に希望を見出す若い人が多いのかな、なんて思っていたのだけど。でも、ドバイの豊かさは周辺の石油産出国によるのだろうし、金融資本で栄える様は典型的な資本主義のはず。なんか「働かなくてよい」というキーワードだけが、都合良くその子の記憶に残っているのだろう。どこからそのお金がやってくるのかという事には思いが至らないのは不思議。

なぜか、僕の隣に座っていた男の子ばかりが喋っていて、最後には「今日はぐっちってばかりでごめんね」とか、もう一人の子に話していて、なんだか昼間のラーメン屋の男同士の会話というよりカフェで話こんでいるガールズトークのような印象を持ってしまったのだった。

まぁ、でもどういう話を聞かされていても、美味しいラーメンはやっぱり美味しく、お店を出ると開店から10分しか経っていないのに入り口にはすでに行列ができていて、ハンカチで額の汗を拭きつつああ、また来たいと思ったのだった。

店を出て歩くこと一分、閑古鳥の鳴く別のラーメン屋さんを横目でみながら、旨い店は混むという、その風景もまた資本主義社会の競争の結果といえそうで、結果の平等が保障された共産主義社会を望みながら、旨いラーメンを食うというのは矛盾しないのだろうか。社長さんも平社員も寒空の下、外で待たされ、カウンターに腰掛けて食するラーメン屋さんの姿をみると日本型資本主義はまずまず悪くないのではと思えた、冬の午後