欲望という名の牽引車

欲望というのは世俗的な立場にたてば、刹那的であるにせよ、人からは虚栄と取られたって、エネルギーの源であることは事実。まだソ連と呼ばれた時代にヨーロッパの旅行で立ち寄ったモスクワの空港で売店の売り子たちの愛想の無さとやる気の無さをみて、共振主義なんて駄目じゃないと思っていたら、その数年後にはベルリンのブランデンブルク門前の東西の壁が崩壊した。

あのモスクワでの光景を目にしたときから、人の欲望を否定したら経済は活性化しないと感じていたので、共産主義という理想主義的な壮大な社会実験は失敗に終ると思っていた。
そして欲望という名のエネルギーを極大にまで引き出し、将来発生する価値を担保にして現世の繁栄を追い求めた結果がサブプライムローンによる今の金融危機

ゴルバチョフとエリッイン時代の経済的にはどん底の時代を経て、資本主義に移行したロシアは、一度どん底におちただけに、共産主義時代の仕組みをすべてチャラにできた事で、プーチン主導の強権かつ経済的繁栄が続くという。それは共産主義という政治体制を維持しつつ、資本主義を取り入れた、未だ移動の自由の無い7億人の農民を抱える中国とは対照的。(大前研一著『ロシア・ショック』)

民生機器販売が米国景気に支えられ、工作機械等設備投資が中国特需に支えられてきた日本の産業界。国内の乗用車販売台数が3割減の報道にもあるように、金融危機の影響は実体経済にも影響を及ぼしてきた。小泉政権時代の規制緩和による国内経済の活性化に至る前に失速ぎみ。

ITの発達でSNSやらyoutubeのような楽しみは増えるものの、皮肉なことにそれはお金を使った消費からお金を使わないエンターテイメントへと人々の関心が移っている事を意味していて、自分がお金を使わないという事は結果的には自分の仕事も減ってしまうという事をもたらしてしまい、株だの景気だの経済指標にばかり気持ちがとらわれていると気分も沈みがちというもの。

20歳の女性達とゼミの面接をした内田樹先生によれば、すでに彼女達の関心事は「ブランド」とか「ファッション」にはなく、東アジアで窮乏生活を強いられている人達に向けられていて、「私より貧しい人達」に「私は何を与えることができるか」という事にシフトしているという。
http://blog.tatsuru.com/2008/12/06_0911.php

「セレブ」の豪奢な生活をマスコミが紹介したところで、「金が全能ではない」ということを悟ってしまった彼女達若者が消費のためにお金を使う事もなくなってしまったとしたら、これから迎える不況の時代、案外と長いのかもしれない

「贅沢は素敵だ」という言葉はすでに死後と化し、自分達より貧しい人達に若い人達の目が向くとしたら、たとえ不況が長引くとも、これから先、世界は富を分かち合う経済格差の小さい世界になるのかなとも思うが、それは甘いのかなぁ…

なんて、思ってみたり