『文明の生態史観』

北京オリンピックで50近い民族の衣装を着た子供達が実はほとんど漢民族だった、なんて事が話題になっていた時に、あるブログで取り上げられていた、40年前に書かれた梅棹忠夫氏の著作『文明の生態史観』、これがなかなか面白い。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/42f593fdeab920eca3c15e1147c58747

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

あくまで一つのモデルという事なのだろうが、この絵ほど旧大陸で起きた歴史を俯瞰して理解する上で便利な絵はないと思う。旧大陸を一つの楕円ととらえて、北東から南西にななめに横断する形で広大な砂漠が広がる。

ここで、
第一地域 日本 西欧
第二地域 I 中国 II インド III ロシア IV イスラム

著書によれば、乾燥地帯を中心とした遊牧民族(蒙古、匈奴)の暴力から自らの農耕社会を守るために、中国、インド、ロシア、イスラムでは軍事的専制国家が発達した。これら第二地域では破壊と征服の歴史が繰り返されて、暴力を有効に排除したときだけ王朝は栄えた。

そして、これら暴力に晒されることのなかった周辺国家、欧州、日本では工業文明が進化し、非西欧地域では日本だけが近代化を進めることができたのだとか。第一地域では日本の明治維新等、第二次世界大戦前に革命を終えているのに対して、第二地域では大戦後おびただしい数の革命が起きている。第一地域では封建体制からブルジョアジーが生まれ資本主義が育ったのに対して、第二地域では資本主義体制が未成熟であったのもその特徴。

この本が執筆された当時(1960年頃)は中国もインドも貧しく、近代化が遅れていた。梅棹忠夫氏は民俗学の権威として有名で、この著書も彼自ら、東南アジアからインドそしてイスラムと自分の足で訪ね歩き、その時の印象を元にまとめ上げた本だ。

そして、ここ数年発展している国として取り上げられているBRICs。ブラジル、ロシア、インド、中国、著者が第二地域と定義していた国が三つも入っている事は偶然なのだろうか。中国はトウ小平以来、専制的な共産主義から資本主義に移行し、ロシアもゴルバチョフが大統領になって資本主義に移行した。資本主義の発達が遅れたのは過去の軍事的独裁国家体制の名残だといえるのではなかろうか。

「日本はアジアの一員」という言葉があるけど、こうしてみると、私達が漠然と思う「アジア」というのは生い立ちも歴史も全く違っていて、とても一体として捉えることはできない気がする。