僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 泉流星著

自閉症って何?という事がわかる本

僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 (新潮文庫)

僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 (新潮文庫)


自閉症、引きこもりの事ではありません。話相手の気持ちを察する事がうまれつきできないという障碍を持った人たちの事。相手の喋った言葉をその字面どおりにしか受け取れないので、相手の心情とか気分を察するという事ができないとか、言われた言葉の定義にこだわって妥協する事をしないとか。日本語には、揶揄、皮肉、暗喩、手の込んだ遠まわしな言い方での表現方法もあるから、余計やっかいなのだと思う。

物語は自閉症の妻と暮らす夫という形で語られているけど、実はこの妻自身が作者。この本を書き始めた時に、結婚した夫の立場にたって本をかいてみようと決めて書き始めたのだとか。相手の立場に立って考えるのが苦手な自閉症の作者にとってはとても大変なことだったのだろうと思う。

作者は子供の時から周りの人と自分がどこかずれている事を感じていて、なぜだろうと自分で調べ始め、三十代後半になって自分が自閉症だという事を発見する。子供の時には、間違ったことをした時には親にきびしく叱られたが、人と違っている事を責められた事はなかったのだとか、たぶんこれが子供を育てる上でとても大切な事で、「人と同じようにしなさい」と言われていたら、自分を肯定的にとらえる事ができず、自分ときちんと向き合える大人にはならなかったんじゃなかろうか。

自閉症あるいは、LD、ADHDの子供を持つ親は、周囲からは「育て方が悪い」と責められがち、自閉症について周囲が理解していれば、親も問題を抱え込まずに済むし、そのことは社会全体にとっても必要なことだろう。

作者は自分が自閉症だという事が分かったので、夫とのコミュニケーションを成功させようとありとあらゆる努力をする。夫の仕事関係の本、趣味のモトクロスの本、ネットも利用しながら徹底的に情報を収集する。その努力たるや涙ぐましいの一言に尽きる。

本の中で書かれていた字幕無しでインド映画を夫婦で見に行ったエピソードが面白かった。言葉が分からないので、夫は映画の内容が理解できないのだが、妻はたとえ言葉が判らなくても、俳優の動作や話の流れから内容を的確に想像できていたのだと。普段の生活より、ずっと映画の内容の方が理解しやすかったとか。そう、つまり妻は言葉がうまく通じない分、なんとか別の情報(言葉以外の)を使って理解する術を身に付けていたという事だろう。このエピソードなんかはコミュニケーションの本質に関わる何かを示唆しているような気がする。