『クライマーズ・ハイ』

クライマーズ・ハイ』という小説を読み終えた。映画化されたそうで、ロードショーが始まるのが来月の5日から。読み終えたというより中程まで読んだところで飽きてしまって、読み飛ばして最後まで一気に読んだ。映画のシナリオのような構成で 新聞社内での怒声が飛んだりと映画にするなら面白いのかもしれないが、もっと叙情的な小説を読みたい気分の今の自分にはいまひとつ物足りなかった。

地方の新聞社の派閥抗争
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幼い頃のトラウマを抱え息子と向き合えない父親

この本についてはいくつもの切り口で取り上げることはできそうだが、題材となった「日航ジャンボ機事故」について書いてみたくなった。

小説が題材として取り上げた「御巣鷹山に墜落した日航機事故」はよく覚えている。坂本九を初め多くの著名人が犠牲となったし、その痛ましい事故は史上最悪の航空機事故となった。ダッチロールを続ける機内で父親が書き留めた子供にあてて書いた遺書、その写真を紙面で見たときには目頭が熱くなった。その遺書もネットで検索すれば探し当てることはできるのだが、痛ましくて今でも心がいたむ。だから、URLでリンクを貼る気にもなれない。


事故の原因は機体後部にある圧力隔壁が破裂し、尾翼を吹き飛ばして、機体が制御できなくなり、ダッチロール、迷走を経て、御巣鷹山に激突した事。圧力隔壁の修理ミスはボーイング社によるもので、当時の日航の整備方法では修理ミスの発見はできなかった。修理ミスの証言を得るためにボーイング社の技術者と裁判所は司法取引したと記憶している。

修理ミスをした個人の罪を問うよりも、ミスに至った組織やシステムのあり方を明確にする事が事故の再発防止に繋がるからだと当時発表されていたと思う。何百人もの人命を預かる航空機や電車やバスなどの交通機関の安全をどう確実なものにしていくのか。一個人の修理ミスが大きな事故につながる事のないよう二重三重の安全策を施すことが事故の教訓を生かすことになる。

だから、個人の責任を問うよりも事故に至った原因を解明して事故防止策を組織の中で仕組みとして取り入れていこうというアメリカの司法の発想は当時新鮮な印象があった。

あの頃は、羽田沖事故、雫石事故、航空機事故が国内でもあったと思うのだが、御巣鷹山以降、国内航空会社による事故は起きていない。あの事故の教訓が生きているのだろうか。無事故記録、これからも続いて欲しいものだ。