/// 痛快!憲法学 「第十二章 角栄死して、憲法も死んだ 」 より

7/20からの続き

安倍首相の思惑とは異なり、憲法改正が争点となる事は無く、参議院選挙は自民党の惨敗で終わった。憲法改正がテーマとなっていれば、5月連休から書き始めたこの『痛快!憲法学』も少しは何かの役に立ったのかも知れない。残り二章、早々に書き上げてしまおう。

議会における論争で雌雄を決するのが民主主義の基本ルール、大正時代に生きていたその民主主義が戦前消えうせ、軍部の暴走を許してしまう。同じ事は田中角栄ロッキード裁判でも繰り返されたという。

  • あらすじ

明治維新以降、薩長支配による藩閥政治の時代、議会での演説をきっかけに林内閣を打倒した尾崎行雄の例のように大正時代にはデモクラシーが生きていた。

戦前の日本でデモクラシーが死んだのは軍部が聖戦といい始めてから。そして、それを支持したのは民衆、南京陥落の誤報に沸いた大衆を政府は制止することはできなかった。

戦前の日本人が軍部の独走を許したのと同じ事が戦後もおきた。それが田中角栄ロッキード事件。賄賂を受領したかどうかという事ではなく、裁判の過程が憲法違反であった。

それはなぜか。賄賂を送った側のロッキード社のコーチャン氏は免罪を確保された上で米国で検察側の尋問を受けた。この証人に対して被告田中側からの質問(反対尋問)の機会が与えられなかったという事が裁判の手続き上違法だから。
5月5日の日記にも書いたように、「憲法とは国家を縛るための命令」だから、手続きを踏まずに裁判を進めた国は憲法を破ったといえる。

その後、最高裁においても違法との見解がだされているが、長引いたこの裁判は、被告が死んだことで、無かったことにされている(公訴棄却)。

ちなみに、田中角栄は議員になって8年間の間に26件もの議員立法を成立させ、官僚操縦の天才と呼ばれ、演説がたくみであった。彼こそがデモクラシー政治家といえよう。

日本は空気が支配するといったのは山本七平
悪人と断定されてしまうとマスコミと国民が一緒になって、断罪に走ってしまう。
戦前戦後、日本人は変わっていない。

  • 感想

今回の参議院選挙でも、社会保険庁の問題は自民党の問題とは言い難いし、時間をかけて解決できる問題だろうと思う。それでも、多くの国民がアンチ安倍に走ったのは、大臣の失言や不手際等の間違いを認めようとしないそのお坊ちゃま風の態度が、小泉改革のあおりを受けて苦しい思いをしている国民から総すかんをくらったからだろう。

「駄目なものは駄目」 「自民党をぶっ壊す!」選挙の結果は理屈より空気。
「空気を読め」 という言葉は日本人ならではの表現なのだろう。