/// 痛快!憲法学 「第十一章 天皇教の原理 大日本帝国憲法を研究する」 より

7/15からの続き

さて、民主主義と資本主義とが実現するためには、キリスト教の予定説から導き出される、神の前では人は平等であるというエートスが欠かせないというのが、今までの章に書かれていたこと。
鎖国により長い間中世のままだった日本を、西洋諸国による侵略から独立を維持するために、どうやって近代国家に生まれ変わらせたのかというのが本章の主題。

  • あらすじ

幕府がなくなり明治維新が始まった時点でも江戸時代の農民達にとっては他人事、農民はいつまでも農民という階級意識が残っていたら、資本主義はうまれない。働いたらひと財産できるとか立身出世が望めるとかの希望(欲望)が必要。そこで、明治政府は「勤勉の精神」を育てようと二宮尊徳銅像を学校に作った。

キリスト教の代替として明治政府は新たな宗教として天皇教を作り出した。幕末の武士達が信じていた尊王思想を天皇教に変えたのは伊藤博文。彼は宗教のないとこに憲法は生まれない事を悟って、キリスト教の無い日本に、新たに天皇教を普及させた。現人神天皇の前では国民は平等という思想。

こうして、非白人国家で最初の資本主義国が誕生した。
民主主義と資本主義で富国強兵ができなければ白人国家の植民地となっていただろう。

  • 感想

人はなぜ働かなければならないのか。というのが個人的に昔からの謎であった。そんなの当たり前ジャンと笑われるかもしれないが、学生の頃、文化人類学の講義の中で、狩猟採集民族は一日に2時間程度しか働かないという話を聞かされて、じゃ、なぜ工業化社会になって生産性が上がっているはずなのに、人は一日八時間も働くのか解せなかった。
こんな疑問を持つのは本人(僕)が生来怠け者だからかもしれないが。

この章にも書かれていたように、明治政府の施策により、勤勉が正しいと教育され、資本主義を担う労働者として、農民(国民)が洗脳されていったという話で、なんとなく合点がいく。


三丁目の夕日」という映画を観た人なら理解してもらえるだろうが、昭和の日本は今ほど生活は豊かではなかった。(何を豊かというのは難しいが)。

その昭和の時代に、豊かになる事を肌で感じることのできた実体験として知っている世代にとっては、「勤勉」である事は比較的素直に受け入れられるエートスであったように思う。しかし、昭和の時代の記憶の無い若い人たちにとっては、生活レベルの向上を目の当たりにしたわけでもなく、「勤勉」であることの意義がそもそも理解しようがないことなのかも知れない。

明治以降、日本は欧米列強の侵略を防ぐため、そして、戦後は戦争で失った財産や文明を再興するために、「働く」という事に疑問を持つ必要が無かったのだろう。最近話題となっているニートや大学側がお膳立てしないと就職活動も始めない大学生達というのは豊かな時代が生んだ必然のように思える。