/// 痛快!憲法学 「第五章 民主主義と資本主義は双子だった」 より

5/22からの続き

第五章 民主主義と資本主義は双子だった

☆ 予定説が生んだ民主主義
近代民主主義は仏教からも儒教からも生まれなかったのに、キリスト教から生まれたのには必然性がある。予定説の信者にとって、王様も農奴も神様の目からみたら大きな違いは無い。 人間は神の元にあって、みな平等である。したがって、持っている権利もまた同じ、そこで人権という考えが生まれた。予定説が民主主義のスタートラインとなった。
そして、1642年のピューリタン革命でクルムウェルは国王を処刑してしまう。

☆ なぜ資本主義がヨーロッパで生まれたのか?
中世のヨーロッパでは必要以上に金を稼ぐのは悪徳だと思われていたから、最低限の労働しかしなかった。カルバンは蓄財は悪、生活は質素でなければならないと説いた。その予定説を信じるプロテスタントは職業は神が決めた天職だと考え、労働こそが救済の手段であると考え(行動的禁欲)、結果として裕福になっていった。
経済が盛んになっても予定説を信じる信仰心が無い日本(紀伊国屋文座門)やアラブ(シンドバッド)では資本主義は生まれなかった。

☆ 資本主義とは?
単なる拝金主義や利益の追求ではなく、合理的な経営・経済活動を支える精神あるいは行動様式。プロテスタンティズムが資本主義を生み出したと立証したのはマックス・ウェーバ(1904年)。

☆ 人はなぜ働くのか?
多くの日本人は紀伊国屋文左衛門のごとく、遊んで暮らせるお金が手に入ったら働くのをやめようと思うだろう。それに対して、アメリカのお金持ちは働いた事の証として、なぜ桁違いの(とても使い切れるとは思えない)報酬を要求するのか。拝金主義では説明しきれない。財産を築き寄付をする事が神の栄光をあらわす事になると考えられているのだろうか。

資本主義も民主主義も根っこはキリスト教にある。さらに契約という概念が欠かせない。日本人や中国人にはなじみの薄い契約。次の第六章はのテーマは「契約」。