民主主義がまだ無い時代に議会と憲法は既にあったらしい

中学の公民の時に三権分立を教わって以来、議会と憲法と民主主義とはセットだと思っていた。でも、憲法と議会は民主主義が生まれる前からあったので本質的に無関係らしい。

/// < 痛快!憲法学 「第三章 全ては議会から始まった」 より >

    • 契約で結ばれる国王と封建領主の関係

中世のヨーロッパでは国境・国土・国民というのは無く、自分の土地と農奴と武力を持った封建領主が群雄割拠し、最も勢力の強い領主が国王として他の領主と契約により主従関係を結んでいた。
この時代の国王は慣習法を守らねばならなかった。これを伝統主義といい、マックス・ウェーバーはこれを「永遠の昨日」と表現した。合理的判断とは対極をなす考え方である。

    • ペストと十字軍

中世封建領主の没落のきっかけとなったのは14世紀半ばのペストの流行による農奴の激減(人口の1/4が死亡)と都市商工業者の台頭をもたらした 12世紀の十字軍の遠征である。十字軍の遠征で高度なイスラム文明に接したヨーロッパ人は封建領主の手のとどかない所に都市を作り、貿易と工業を基盤に貨幣経済を発展させ都市商工業者は富を蓄えていった。

没落していく領主に替わり国王の金づるとなったのが都市商工業者であり、この資金を元に国王は常備軍を持ち勢力を強める。
貨幣経済に翻弄され免罪符を信者に売りつけるなど堕落していた教会も国王の専横に不満を持ち、既得権を失いたくない伝統主義の貴族と結託して国王&商工業者連合と対立していく。

    • そして生まれた議会と憲法

両者の利害調整の場としてできたのが議会である。フランスの三部会が開かれたのが1302年。
ヨーロッパで最初にできた憲法マグナ・カルタ(1215年)は国王に貴族の既得権と慣習法を守らせるための契約であった。王といえども法を守る義務があることが確認された。

というわけで民主主義とはなんの関係なく 議会と憲法ができた。

////

中世ヨーロッパにおける貨幣の裏づけは国王の軍事力に有ったようだ。そのため、農奴からの物納で権力を維持していた封建領主が貨幣経済の発展により没落していったと思われる。

「有事のドル買い」 中世の時代から貨幣価値の裏づけは軍事力。

貨幣経済が、封建領主の没落をもたらした
電子マネー経済が、xxxxの没落をもたらした

100年後の教科書にはなんて書かれるのだろう 
(タイトルと結論が違ってしまった)