福山雅治の結婚は国家のためか?編集する

福山雅治吹石一恵の結婚報告を聞いた職場の女性が、ああもう帰ろうかな〜とため息
その結婚を聞いた菅官房長官産めよ増やせよ国家のためにと取られかねないコメントをしたと話題になっていた。

「日本人にとって国家というのは政府というか統治機構という感じなので、日本人が暮らす共同体を連想させない、この共同体を表す言葉なんだろう?」
などとつぶやいてみたら、「むら〜」「うちら」とかってリプライが返ってきた。

英語で言えば、国家はnationなのだろうか
govermentではなさそうだし、countryというのも違う気がする。

goverment of the people と演説したのはリンカーンで、この時には、明示的に統治機構として北軍を選ぶか否か、それを問うたのかも知れない。

一方、ケネディはwhat you can do for your country と、国のためにあなたは何ができるのかと問うた。彼はきっとアメリカという国に対する愛国心に問いかけたかったのだろう。

菅さんも、国家に貢献してくれれば、等と言わずに、国に貢献とコメントしてれば、風当たりも違ったのかも知れない。

「お国はどちらですか?」という聞き方にはどこか故郷を思わせる温かみがある。

国家という言葉は明治維新の時にnationを訳して作られた言葉だと聞いた事がある。

そもそも農民ばかりだった近代以前の日本人達にとって、国境はどこかと問われても海の向こうのどっかじゃないという感じだろうし、幸いにして異民族に侵略された経験の無い幸せな日本人にとって、国防なんてのも他人事だったのだろう。

国家というのは、戦力を持ち、関税自主権を持ち、通貨発行権を持ち、独自の言語と文化を持ち、国民に対しては徴税権を持つ代わりに安全と財産を守る事が期待されている、人工的な組織なわけで、自然発生的に生まれた生活共同体とはややその成り立ちは異なっている。

来月には、この国家が勝手に一人ひとりに番号を割り振った「マイナンバー」なるものが通知されるとか

「1億総活躍社会」とかって首相の言葉は、なんだか戦前の国家総動員法を連想させて違和感があるのだが、国民総背番号制でひとりひとりのプライバシーが管理されるとしたら、なんだか困ったものだ

いやそれは違うのだよ、アメリカにはsocial security number というのがあって、これはとっても便利なのだから、それと一緒なんだよと説明されても、米国には戸籍や住民票も無いっていうじゃない。

このマイナンバーだって、個人と国家とのあり方を考えるいいきっかけになったと思うのに、国民への説明も無いまま、なぜか制度だけが導入されてゆく…

どうも、たまに日記書くと長くなるなぁ(笑)
ではまた