最相葉月 「セラピスト」心の病との向き合い方

会社に勤め始めた頃、何ヶ月も職場に顔を出さない人がいて不思議に思い上司に尋ねたら、「彼はいいんだよ、それで」との答え。休みの多い人だったけど能力のある人で出社すると人の何倍ものパフォーマンスを発揮する。それを知る上司は野放し状態と、まだそんな緩い人事管理が当時は許されていた。

最近の職場でも休みがち、あるいは出社できずに長期休業という状態になってしまう同僚は以前に比べ多くなった。

心の病、ずいぶんと身近になったと感じている

この本は、そんな精神病をカウンセリングにより治療する試みの日本における歴史と著者自身の実体験も含む医療現場の実態を明らかにした本だ。

今では認知機能の低下として理解されている統合失調症は1960年代には精神分裂病と呼ばれ、檻のついた病棟に収容されているケースもあった。

日本においてカウンセリング理論を紹介したのは茨城県大甕(おおみか)駅に隣接する茨城キリスト教学園のローガン・ファクス初代学長。その後、カウンセリング制度が普及し、1963年には企業120社、学校300校に、採用されていた。

この本では、クライアント(患者)に箱庭を作ってもらう箱庭療法と絵画療法とが詳細に紹介されている。

一般的に精神科の治療というのは、患者に対して医者は「どうしました?」と問いかけ、言葉によって患者の様子を確認し、向精神薬睡眠導入剤を処方してしまう。短時間の診察であればやむを得ない面もあるのだが、言葉に頼った治療が患者によっては向かないケースもある。

この本で紹介されていた治療現場では、医師が詰問する事なく、患者をクライアントと呼び、例え10分間無言であったとしても急かしたりせず、クライアントに医師が寄り添いながら、心の深い部分を静かに確認していく。作成中の箱庭や絵画を見ながら、その意味を一緒に確認し、自分の心を理解し治療してゆく

クライアントがセラピストに抱く感情を転移、逆の立場での感情を逆転移、とフロイトは呼んだ。カウンセラーの三原則、自らを偽らない、誠実さを保つ、クライアントに深い共感を持って、ありのままを受け入れる事。カウンセラーと言うのは、まず自分自身をカウンセリングしてもらい、自分の心の性質を知り、クライアントとの距離感を保つ心構えが必要とされるのだろう。

日本では自と他、物と心の区別が曖昧、心の問題は人間関係全体の中に溶け込んでいて、自分の心の内を言葉にするのが苦手。でも、盆栽を好む日本人であればイメージで表現する事が出来るのではないか。と考え、箱庭療法を勧めてきた。

だが統合失調症のクライアントだと、箱庭療法により自分の中に抑えていた感情が溢れ出し、人格が崩れ、発病してしまうケースもあるので、治療者の判断はとても大事

妄想というのは統合失調症の人の専売特許ではない。自分との折り合いの悪い人に起こりやすい。もっとも苦痛な統合失調症の症状は、自明性の喪失と呼ばれ、健常者なら当り前と感じている事を気にしすぎて安心できなくなるという。

また、不意打ちの出来事に遭遇しても一般の人は場当たり的に選択を繰り返すが、統合失調症の患者はとりあえず局地化して捉えることが苦手。空間的、時間的に、距離を取る、間合いが大切なのに、それが出来ない。

最近の学生相談の現場では、箱庭療法や絵画療法が使えなくなってきている。内面を表現する力が落ちていてストレスがあり緊張が高まってしんどいという事はわかる。でも葛藤が何かがわからず主体的に悩めず、感情が伴わないままリストカットしてしまう。そして、引きこもりや「内定うつ」という問題につながっている。

主体が不明確なままでは精神治療の従来のやり方は通用しない

この本を朝の通勤電車で読んだのち、駅から会社まで出社する同僚とおしゃべり

ここ数日休んでいたので、どうしたの?
と聞いたら子供を連れて行った病院で風邪をもらってしまって、との事。小学生になる子供の手術も無事終え、同じ病気を幼い頃彼も患っていた、なんて四方山話を歩きながらしていた

最近ネットの時代になって、休みの連絡もメールで送ってオシマイ、なのだが、何気ない会話が交わされる職場が心の病の予防には欠かせない。

顔を見て話す、その温もりに勝る薬はないと思う