ノーベル章受賞と剽窃に揺れる日本の大学と

先週10/7にノーベル物理学賞を3人(?)の日本人が受賞とのニュース

?を付けたのは中村修二さんは米国の市民権を取っているから
彼が市民権を取ったのは研究のために軍の予算を確保したかったから、との事

もしこの受賞が中村さん一人だったら、日本の企業や大学では、もはや独創的な技術が生まれる土壌を失われてしまった、という報道になったのかも知れないけど、赤崎氏、天野氏、らの二名の青色LEDの基本研究が認められ同時受賞された事で、日本人として誇らしいとの首相のコメントに繋がった。

「怒り」をエネルギーに変え、研究に邁進した中村氏に対して、受賞のニュースをフランスのグルノーブルで聞き、帰国の便がビジネスにアップグレードされると喜んでいた「笑み」の庶民派赤崎氏。

対称的な二人を見て、米国人風とか日本的とか、マスコミなら書きそうだけど、これって単にお二人の性格の相違なんじゃないかなと僕は思った。

会社の処遇が不満で退社渡米し、大学の教授かつベンチャー企業の経営者としての人生を選んだ中村氏。毎年研究費獲得に奔走し、かつ授業も持ち、経営もする、そんな多忙でやりたい事のやれる環境を彼は自ら勝ち取った。

ベンチャースピリッツ、アメリカンドリーム、夢を追い、そこに投資するエンジェルがいて、それがアメリカの産業の強さであり、国力の源、というのは良く言われる話。更に加えて、日本とケタ違いの40兆円も軍事費が先端技術の開発に大きな役割を果たしていて、インターネットが軍事目的に開発された技術であるというのも公知の事実。

同じ10/7に小保方氏の博士号を取り消すと早稲田大学が決定。一度は、論文にミスはあるけど、学位は維持すると決めていたのに、なぜ?という疑問は消えない。

剽窃(ひょうせつ)」という聞きなれぬ言葉を早稲田の学生達はさんざん聞かされ、他人の論文のパクリはいけないよ、と固く禁じられているとか

Google先生に尋ねるのが普通になった今の研究環境
「この写真使えそう!」と安易にコピペして論文に貼り付けた写真、結局STAP細胞は無かった事が既に第三者の手によって証明されてしまったとも聞く。

ベンチャー企業の経営を兼務するのも一般的なアメリカの大学教授
博士論文の嘘を見抜けなかった日本の大学教授

その差は何を象徴しているのか?

卒業生がそのまま教授陣を占める大学ゆえ、内輪の事情に配慮して断固たる措置が日本の大学では取れなかったという事か

多くの留学生と移民を受け入れている米国の大学との違いは、その多様性の有無のせいかも知れない