拝啓 十五の君へ

昔の自分について何か話をしてね、と頼まれ、高校時代の日記を引っ張りだして読んでいた。自分がどう思ったとか、自分がどう感じたとか、自分を中心とした日記は人に読ませるほどの内容ではないけれど、あの当時の記憶をたどることができて面白い。

規則にうるさかった中学生時代から自由奔放な高校に入学した事で、ずいぶんと戸惑ったと日記には書かれていた。伝統のある学校だから自由でもいいのだ、と当時聞いた気がするが、示される規範のない学園生活というのは、悩み多き思春期の子供達にとっては不安を増長する事になりがちだ。中高のあの頃には、宗教なり、建学の理念なりが明確な学校の方が、校則に従うにせよ反発するにせよ、向かい合うべき対象が明確でいいと思う。

高校の頃の記憶なんて、どんどんと薄れて、今となっては出来事の数で言えば10を下る。日記の半分ほどは、自分を励ますというか律するような気合の入った文章で、おそらくはコンプレックスでいっぱいだった自分を変えたくて、どこかカリカリしていて、口だけは偉そうな事を言っていた気がする。

高3の頃には、進路選択という一つの岐路に立たされるわけで、文理選択、に始まり、卒業後の生活場所、だとか、夏以降、勉強が手につかぬほど、徒に時を費やして悩んでいた。

若いころのコンプレクスなんていうのも、誰かが自分を必要としている、という承認要求が満たされれば、それなりに解決するもの。たいていは恋愛だったり、仕事だったり、を通じて人は自信を付けていく。

日記を読みながら思ったのは、常識や世間の目にとらわれている自分の性格って、あまり変わっていないなという事。それもどちらかと言えば、ただの本人の思いこみでしかなくって、別に傍はなんとも思っていないのに、勝手に自分を律しているというような。

もっと伸びやかに、好きな事とか、やりたい事とかを突き詰めても良かったのかも知れない。でも、今の仕事、30年も続けて来られたのだから、肌にあっていたのかな。

手紙 〜拝啓 十五の君へ〜
アンジェラ・アキ

自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる

自分の声を信じ歩けばいいの

あらためて聞くと、しみじみと心に訴えるいい曲ですね
今、十五の自分に会ったら、伝えたいことがあるんだけどなぁ〜