『2つ目の窓』、その意味はまだ分からない

グローバリズムという大きな荒波が世界を覆い尽くして、ドメスティックなインフラ系の会社なら逃れられえても、大企業のみならず中小企業だって、世界と繋がって仕事せざるを得ない日本になってしまった

サンノゼからの鶴の一声に振り回され、全ての物がインターネットに繋がった、IoTの世界に備えよと急き立てられ、覚えきれぬ数多のルールに着いて行くのに息切れしながら一週間が過ぎていく

擦り切れた魂の修復は、仕事を離れた友人たちとの語らいか、読書や映画を通じて得られる虚構の世界での癒やしから得るほかはなく、この週末には、『2つ目の窓』という河瀬直美監督の最新作に浸っていた。

生と死、愛と性、生贄となったヤギから滴り落ちる血、自宅で庭の樹齢500年のガジュマルを目にしつつサンシンの演奏と友人達の踊りに看取られ生を終えた母親。若い二人が海辺を自転車で駆け抜ける姿や海中で戯れる姿は清々しい生命力に満ちていた

世界中で支持される『アナと雪の女王』のようなハリウッド的大作がビジネスの世界では求められているのだろうけど、河瀬監督のような土着性の強い物語を一般の人達を出演させながら一見ドキュメンタリー風で、それでいて普遍的な主題を描いた映画は見終えた後の余韻がいい

「2つ目の窓」で松田美由紀演じる島のシャーマン、神と人との間を結ぶ巫女。『ノア 約束の舟』では神のことをCREATORと呼んでいた。映画の中では悪をはびこらせた人間を滅ぼすために洪水を神が起こした事になっていて、ノアはその御心を忠実に遂行しようとしていた。巫女とノア、同じように神の声を聞いてはいても、その神との対峙の仕方はあまりにも違っている

キリスト教のいうところの神はCREATOR、すなわち創造主
自然のそこかしこに宿ると信じるのが日本の古来からある神

カンヌ映画祭で公式上映された「2つ目の窓」、フランスでは100館規模での上映が予定されているらしい。自然への畏怖や神の定義、キリスト教圏ではどう理解されるのだろう。そんな事とは関係なく、ただのアジアの異国情緒豊かな物語として理解されるのかも知れないけど、それはそれで良しと思う

2つ目の窓、これは何を意味しているんだろう、という謎は解けぬまま上映を終えた