「魂」と「心」、ただ徒然に
友人の日記を読んでいたら「心」と「魂」の違いについて書かれていた。
悲しみに出会うと心が痛む、それは胸の奥の疼きとでもいうような自分でも感じられるもの
うつ病は「心の風邪」という例えを聞いた事があるけど、風邪なら治す事もできそうだ。
人は心を病む事があっても治療により治る事ができるけど、魂が病んでいたら、何度も自傷を繰り返すのだろうと。
心と魂の違い、根源的な問いかけだ
先週書いた「魔法少女まどか☆マギカ」では、魔法少女達の「魂」はソウルジェムと呼ばれ、本人の肉体とは分離して存在する。そのため魔女との戦いで肉体が傷ついてもソウルジェムが無事であれば不死身でいられる。
そして「魂」の実態は少女の記憶であり歴史であり、時間を超え、記憶を重ねる事で歴史がより深く刻まれていく様が物語の根幹をなしている
ずいぶんと古い本だけど、小林秀雄を久しぶりに読んだ
『人間の建設』という数学者 岡潔との対談集
この本で語られているのは、日本人の魂の物語
グローバルな競争社会が常識と語られる現代、そんな競争社会の意味を問うているこの本は50年前に書かれたものだけどとても新鮮
薄い文庫本なのに、語られている内容は、物理、歴史、日本と西洋、と多岐にわたり、数学の発展にも分かり易く触れていて、数学者って、こんなにも深い洞察力と観察力を備えているんだなと驚いた
とても理解できたとは言えないけど、心に留めおきたい文章だけ、列ねておきたい
秋だというのに日中はコートを脱がずにはいられない程暖かだった今日
もう、街はクリスマスの飾りもので賑わいつつある
人は生まれ、親子の情というものは既にあるが、自他の別というものはない。時間というものがわかりかけてくるのが生後三十二か月すぎてから。
母親に抱かれている有様は自他の別なく時間というものがない。これが「のどか」というもの、そして仏教で言うところの涅槃(ねはん)。
物理学者はリアリティとして自然とうものの本質があると考えているけど、数学者にはない。数学者は自然をクリエイトする立場にたっている。
詩人が新しい言葉を作りだしているのと同じように数学者は数を作り出している。
関数は十九世紀になって複素数というものの性質が分かるようになってから急激に伸びた。
昔の国家主義や軍国主義は、それ自体は間違っていても教育としては自我を抑止していた。今の個人主義は間違っている。自己中心に考えるちうことを個人の尊厳だなどと教えてはいけない。
小我は自分ではないと悟ってほしい。「神風」のような死に方は自分を小我だと思っていてはできない。日本人は小我が自分だと思わない状態に至れる民族。自分の肉体は人類全体の肉体であるべきであると感情的に思える事が大事。一億という人が生存競争の 空しさを言ってくれたら、人類の滅亡を避けられるかも知れない。
ギリシャには小我を自分と思っている事を間違いであるという思想はない。
昭和四十年十月 新潮 掲載