まぁ、ハリウッド映画にはハリウッドの良さはあるけど所詮ビジネスだ

ダイハード、というのはブルースウィルス主演の一匹狼のタフなデカが大勢の悪人相手に活躍する米国人向け娯楽映画。

88年に公開された第一作『ダイ・ハード』はバブル景気に沸く日本企業の海外進出を舞台として、ナカトミプラザでテロリストを装い、6億ドルの債権奪取を目論む強盗団と対決。

ダイ・ハード2』は空港の管制機能を乗っ取った、麻薬王奪還を敢行した陸軍隊さとの対決。

この第二作まではストーリ展開の意外性とかグローバルな政治経済状況とかいった社会性などもテーマに絡めていて、娯楽映画いとしても秀逸だったと思えた。

3作目以降はあまり記憶に残っていないし、只今上映中の第五作はどうかというとモスクワとチェルノブイリを舞台に、ウラン横流しの裏稼業で儲けるロシアの高官との対決、みないな話で、どうにもパッとしない映画。

ハリウッドの映画で描かれる、エコノミックアニマルの日本人、冷徹なドイツ人、官僚が腐敗しているロシア人、米国籍を熱望する韓国人、とか、それぞれの国よってステレオタイプの描き方というのがあって、ハリウッド映画を観るという事は、米国人特有の世界観にいつの間にか染まる、という事でもあるのだろう。

イラン米国大使館での人質奪回をテーマにした映画のアカデミー賞受賞をオバマ夫人が発表、というサプライズがあったと聞くけど、映画もいつの間にか国威発揚の場として使われるようになって、なんだかハリウッド映画ばかりを見ていると洗脳されそうな気もしてくる

日本映画はもちろんだけど、たまには、中東の映画とか、ヨーロッパの映画とか、視点の違う映画にも触れてみないとフェアじゃないのかも

歴史というのは勝者によって書き換えられるものとはよく言ったもので。

経済大国の米国がハリウッド映画を世界に配信し、ドルが基軸通貨という世界が続くうちは今のままだけど、中国が大国になって彼らが映画を配信するようになったら、日本がどれだけ悪玉にされるのか。

話しを戻すと『ダイ・ハード5』は、チェルノブイリが舞台というのが違和感あったかな。きっとそれは、日本人がFukushimaを舞台とした娯楽映画なんて作ってほしくは無い、と思っているのと相通じていて、ロシアの人達の気持ちになったら、あんな映画は作れないだろうと思った。

超大作と呼ばれる作品は莫大な費用がかかっていて多くの観客が動員できなければビジネスとしては成り立たない。

そんなロードショー向きのドンパチ映画よりも、場末のミニシアターでやってるような金はかけてないけど、監督と演技者の思いの伝わる映画、そういう映画がみたいなと、あのマンネリ超大作を見終えて感じたのだった。