われら青春!は、もう遠く、『絶望の国の幸福な若者たち』

『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿

高齢化社会になって働き手が減り、老人になった時には年金も受給できないだろうから若者たちは可哀想

正規労働の口はみつけにくく、雇用情勢が厳しいから若者は可哀想

おおむね、そんな論調のマスコミの報道にも関わらず世代別に見れば、現状に満足している率が高いのが今の20代、不満は無いけど不安はある。

ネットも携帯も無かった80年代の若者と比べれば、携帯やwiiを購入できる程の経済力があって、つながりを持てる恋人や友人がいれば、それで十分に満たされる今の若者たち。

正規社員で定年まで勤め上げる帰宅の遅い社畜の夫と子供の教育と家事に追われる専業主婦という昭和の大人像が過去のものとなった今、若者とはいつまでも若者のままでいつづける。

新聞ラジオテレビに支えられていた、明治維新から始まった日本の国民と国家という物語は、ネットの時代になり、世界のニュースに興味を示さなくなったばかりか触れる事すらなくなった若者にとってフィクションとなり、国家は命をかけて守る対象とはならなくなった。

隣の国、中国では、農民戸籍を持つ者は都市での暮らしが政府により期間が限定されている(農民工)のに、生活への満足度は高い、一方、都市で暮らす高学歴の中国人は大学を卒業しても仕事が見つからず蟻族と呼ばれる彼らは幸福度が低い。

石や土でできた農家での暮らしに比べれば、都市で暮らせるだけ農民工にとっては幸せなのだとか

将来、グローバル化が進んで、日本の若者の暮らしの格差が広がったとしても、日本の若者は中国の農民工のように、自分の生活に満足していられるかも知れないと著者はいう。

太平洋戦争のような国家間の争いで何百万もの命が失われるのに比べれば、経済的にはそこそこでも幸福感の高い暮らしの方を今の若者は選ぶだろうと。

著者、古市憲寿氏は、慶應義塾大学SFCの研究員であると同時にゼントという会社の役員でもある。役員とはいっても、社員は3人までと限定していて、藤田晋ホリエモンのように企業家として成功したいわけではない。

会社が大きくなってお金持ちになって時間を奪われるより、生活の糧の得られる規模の会社を経営して好きな仲間同士でやりたい仕事をできていれば、それで十分。

そういえば、ホリエモンの「刑務所なう」、これが結構面白い。

食事も慣れてしまえば麦飯だって美味しいし、一年で100本も映画が見れたし、暖房が入って獄中で各部屋にシャワーが付いていれば、ホームレスよりもずっといいらしい。

好きなだけ本も読めるし、映画も見れて、一日9時間も眠れたら、それはそれで人間らしい暮らしといえそうだ。夏の暑さと冬の寒さは辛いらしいが。

起業して、金策、新しいビジネスの起案、という濃密な日々をホリエモンは懐かしんでいるらしいけど、彼のようなIT起業としての成功者の姿をみつつ、今の若い人達は冷静に自分達の置かれている時代を見定め、若者なりの幸福感を味わっている、という事なのかなと、この二冊を読みながら思った。

『帰らざる日のために』

生まれてきたのはなぜさ
教えてぼくらは誰さ
遠い雲に聞いてみても何も言わない
だからさがすんだ君と
でかい青空の下で
この若さを全てかけていい何かを

この『われら青春』の主題歌、いいなぁ、と思うのはあの頃ぼくらがTVで洗脳されていたから、かも知れないなぁ、等と思う。

TVを見ない若者はマスコミに洗脳される事無く、世界のニュースにも興味はなく、ネットで自分の関心のある情報と仲間たちの交流を通じて幸福感を得て… 

青春って言葉が死語になってはしまっては、寂しいけど