「思い入れ」と「思い込み」

すっかりご無沙汰してしまった日記
忘れられてしまいそうなので、たまには思うところを徒然に

「思い入れ」と「思い込み」
似ている漢字なので意味も近いのかと思いきや、その意味はずいぶんと違っている

intensityとprejudiceとかなのかな、英訳すると
こう書き換えるとその意味の差異も明確になってみえる

昨晩のNHKスペシャルで日本のモノづくりがなぜこうも外資の後塵を拝するようになったのかというドキュメンタリがあって。

音質と著作権保護に執着したウォークマンとか、技術のブラックボックス化を目指したはずの亀山工場とか、どれも自社技術への強い思い入れから立てた戦略だったはずなのに、10年経った今となっては、勝手な思い込みに過ぎなかったのでは、と非難をされている。

デジタル技術によるコモディティ化とか、ネットワークの時代に適したソフト作りが上手くいかなかったとか、いろいろと指摘されるけど、本質は「人を生かす」その事が日本の人事制度ではうまく回らなくなったんじゃないかと思っている。

技術というのは人に蓄積されるもので、厳重な機密保持の工場を何千億円かけて建てるより、必要な人材には高報酬で報いるとか、アナログ時代と違って技術の陳腐化が早い産業分野においては、短期間で生涯賃金がえられるような人事制度を採用しないとシリコンバレーの人達とは競争にならないという事かも知れない。

いや、話しが逸れた

なにか、新しい技術に挑戦しようとする時とか、誰か仲間を増やして仕事を始めようとする時とか、「思い入れ」が無いと人の気持ちは動かない

丁寧な接客をしたいという「思い入れ」があっても、現実にはお客さんに受け入れられ評価されないとそれはただの「思い込み」でしかない。また、実際にビジネスとして考えると時間をかけた丁寧な顧客対応はコストとして勘定されて上司からはいい顔をされない。

一人で仕事をしているのなら、「思い入れ」であるか「思い込み」であるかは、どちらでも良くて、丁寧な仕事にかけた時間は自分の持ち出しでしかない。でも、組織としてチームをマネージメントしようと思ったら、メンバーの「思い入れ」は生かしながら、自分自身の「思い込み」は排除するよう心がけなければならない。勝手な「思い込み」で部下を振り回したら迷惑でしかない。

アップルの故ジョブズ氏の過去を振り返ると、強い「思い入れ」があって独自OSのマッキントッシュを世に出し、業績不振でアップルから追い出され、別の会社で新しいソフトウエアを作り、そしてアップルに返り咲いてiPodを皮切りに世の中に革新をもたらした。

自分の「思い入れ」を、どう表現すれば、人が動き、組織が回るのか、彼は、その波乱万丈の人生の中で学び取っていったに違い無い。

そんな数々の困難を乗り越えた経験を持つ人材が今の日本には求められているのだとうなと思う。
経済、政治、どちらの世界にでもあてはまるのだろうけど。

「思い入れ」か「思い込み」か、仕事を進める上で、その見極めを意識しなきゃと思った、最近のお仕事状況でした。(また、仕事の話書いちゃった…)