オリンピックと国境と

オリンピックの行進を見ていて、思ったけど、なんで地球上には、こんなに沢山の国家があるのでしょうね?

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先週の朝日新聞のオピニオン欄の「不法移民の記者」という記事が興味深かった。
昨年5月、「フェイスブック」の創業者ザッカーバーグとの単独記者会見に臨んだ元ワシントン・ポスト記者ホセ・アントニオ・バーガスは、逆に、「君の出身はどこだい?」と聞かれ答えられなかった。
幼いころ、フィリピンを出て米国へ不法入国した、この記者、勉学に励みピュリツァー賞を受ける程の有能な記者として認められるまでになるのだが、素性は隠し通していた。

ネットワークで繋がる今の時代、国境が主権国家という仮想の産物で、人と人との地球規模での結び付きこそが現実だと、この記者は朝日新聞のインタビューに答えていたとか。

インターネットを土台としたSNSが国家の枠組みを超えてしまう時代、たしかに人的ネットワークに裏付けされた役割を社会で担う記者を、違法という決め事だけで国家から追放する事が正しい事なのか、興味あるテーマだと思う。

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国の境が海で隔てられた日本人にとって国家の境目はわりと目に見えて明確で、だから宗教が違うという理由で迫害が起きるなんて信じられないわけだけど、オリンピック開催地のイギリスでのアイルランドとの紛争の歴史を紐解くと、国家の境界は単純ではない事がよくわかる。

昔、イギリスで仕事した時に、最初に、BritishとEnglandの違いを滔々と地元のスコットランド系イギリス人に語られた話は前にもこの日記に書いたけど、同じ英語を話しているじゃないと私たち日本人から見えたとしても、彼らの中では、BとEの違いはとっても大きな事らしい。

オリンピックの入場行進でアフリカの国々を紹介するときにBBCのアナウンサーは、ここはダイヤが出る、コーヒーが取れる、何年に独立しか言ってない、とかってコメントしたらしいけど、言葉の端に大英帝国のマインドが表れているのが面白い。

イギリスのオフィスにはナイジェリアで働く同僚がいて、アルジェリアとの違いすら知らない国境音痴の自分だが、ロンドンにはアフリカや中東やアジアや、様々な人種が集まって仕事してんだな、というのが印象的だった。

アフリカの国々が小国のままでいるのは大国(英国?)の統治の都合によるんじゃないかと疑っているのだが、どうなんだろう?そもそもそのアフリカの国々で使われている文字はアルファベット以外にあるの?独自の通貨とかは?あるのかな

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国境が無くなってみんな仲良くなれるといいね、なんてオリンピック見ながら小学生の頃はコメントしたような気もするが。

それって、世界中の人が日本人みたいにお行儀よく(見た目は)振る舞う事を期待しているのだろうけど、そんな事には到底なりそうもない。

英語でfacebookでもやってると、ちっとは世界市民的感覚も身に付くのかも知れないが、貧富の差、安全、衛生、教育、勤勉さ、生きる目的、国によって価値観の違いは大きいし、やっぱり国境ってもんがあって、あの国はダメだね、とか、どっかで区切り付けて、やっぱり日本はいいよね、と安心しないと、社会ってものは成り立たないんだろうな。

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というわけでメダルの数に一喜一憂しつつ、日本人である事の喜びを分かち合いながら、寝不足の日々が続く、暑い日がしばらくは続くのであろう。内村君の体調が悪いのが気がかりだ…