無神論者って神が存在しないことをどうやって証明するのだろう?

「ふしぎなキリスト教」の書評を書かれていた友人の日記で進化論を支持する科学と宗教とがなぜ両立しているのかが分からない、科学者は物理学と進化論に矛盾をかんじないのだろうか、そんなコメントをされいた方がいた。

ニュートンキリスト教徒だったというし、実は科学者の探究心といのは神の存在を信じている事に支えられているのだと思っている。

目の前にあって見えている物を「在る」という事に異議を唱える人はいないだろうけど、どこかにいるかも知れない神を存在しないと証明する事はおそらく不可能だ。その存在を誰も証明していないのだから、いないに決まっているじゃない、と主張するかも知れないけれど、「在る」という事は、そう説明する事でみんなが納得するんだったら「在る」という事になる。

たとえば、あなたが今使っている携帯電話、電波で繋がっているんだよと教わったと思うけど、「電波」は誰も見た事が無い。でも、空中には電波が「在る」という事になっている。それは別に目に見えなくったって、そう説明する事が、いろいろと都合がいいし便利だからという仮定でしかない。だから、いまんとこね、電波で繋がっているんだよ、という事にして、誰もが納得している。

ニュートン万有引力が後に訂正されたように、科学というのは仮定と証明の繰り返しの歴史だ。

携帯電話の中身を分解して、また、その部品である半導体の中身を分解して、どんな風に動いているのかは、たとえ、1000万個の部品から構成されていたって、説明する事は可能だ。でも、こうしてPCの画面に向かって文字を打ち込んでいる自分というか人に代表される生物の体の中や思考はどんなに分解したって分からない。こんな難解で、ミラクルな働きをする細胞からなる「人」をだれかがデザインしたとしたら、それはやはり「神」と呼ばれていいんじゃないのか。

そんな畏敬の念を持って、神は存在すると僕は思う。

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神の存在を信じて心が軽くなるなら、その方がいいと思うし、科学なんて所詮、今分かっている事を、今を生きる人類が納得できる範囲で理屈をつけて説明しているにすぎない。

太古の太陽エネルギーを地表で再現して利用する石油や石炭などの化石燃料は温暖化の原因になるといわれて、原子力を私達日本人は推してきた。

量子力学の成果は半導体やIT革命によるネットワークの時代をもたらしたけど、相対性理論に裏付けされた原子力を手なずけるのは人類にとって容易ではない。

津波のもたらした原発の事故は、そんなに急いで科学の産業への応用を推し進めて、豊かさばかりを追い求める事はないのだよ、という人類への神の警告なんじゃなかろうか。

原発に賛成か反対か、という二分化された議論ではなく、もっとオープンに原子力の後処理の方法も含めて、何をエネルギー源として選択するかを議論して、二度とこのような災害をもたらさない道を探すのが人類の知恵だと思う。

どういうわけか、神の話が原発の話になってしまったけど、畏敬の念を失わず、科学は万能ではない、という点で、僕にとっては、どちらの話も根っこはいっしょ。