あれから二週間

ずいぶんと長く感じられる。余震の無い一日なんて久しぶりのような気がする。少し気持ちを落ち着けて備忘録として思うところを書き留めておきたい

地震の当夜は家族全員ばらばらで停電の自宅でカミサンはひとり。都内のオフィスではエレベータも止まっていたしJRは運行中止、深夜に動き出した東急線で帰宅を試みた同僚はいたものの、日が昇るまでデスクでぼんやりとした頭で報告書をまとめていた私。

翌朝、最近子供が生まれたという若い同僚と共に夜明け前に帰路につく。同じ職場なのに、彼の最寄り駅が自分と近いという事を、この日初めて知った。2時間の車中、車内に鳴り響く携帯からの緊急信号と共に電車が急停車する等あったものの、仕事の事やら家族の事やら、いろいろと話を聞いていた。
2時間という時間はひとりの人間の人生を語るのには十分に長い。

帰宅して知った被災地の姿
翌日から報道され続けている被災地からの映像は、とても現実のものとは思えない。死者、行方不明者、合わせて3万人とも推定されている大規模震災。家族を失い、田畑や漁船や、生活の手段までも津波に奪われた人達はどうするのだろう。故郷を捨て新しい人生を始めるのか、今はまだ考えられないのだろうけど、なんともやるせない。

福島原発の事故
コストが安くCO2排出量が少ないという理由で選択されてきた原子力。中東での戦争をきっかけにおきた70年代のオイルショックの後、エネルギーの安定供給には欠かせないという理由もあって推進されてきたわが国の原子力発電。鉄腕アトムの妹がウランで弟がコバルトで、そんなアニメを見て育った世代は原子力は未来の夢の技術と信じて疑わなかった。
地震では原子炉は壊れなかった、10mを超える津波は想定外とはいうものの電源不在で冷却装置の止まった原子炉は放水で冷やすしか術は無く、作業者の被曝量が越えぬよう管理しながらの人海戦術。復旧作業に当たっている東電の社員は地元の方が多く、被災し父母の行方も分からぬまま、自らの職責を全うするその姿勢には涙が禁じえない。

計画停電
地震の翌週、木曜日からようやく出社するも、計画停電の影響で午後には全員が退社。こんな状態では仕事ができるはずもなく、今週からは職場を停電の無い都心に一部移すことに。電車は7割程度の輸送力で休日ダイヤで動き出したものの、自動車工場も休止中と聞くし、電力需要の上がる夏場に向けて、どうするのか。東電だけで対処できる事態は、とうに超えている。
5日おきの停電は曜日の感覚を狂わせる。でも、家庭の停電2時間程度はなんとかやりとおせる。工場だったり商店だったり、仕事場での停電はお客さんも減るし、仕事がなくなる事の不安はまだこれからなのかも。

いち世帯あたりの消費電力は3000W、電圧は100vだから40A契約していて、平均的には30A程度使っているという事か。太陽光発電で賄おうとすると100万円以上必要なので元を取るには10年は必要とか。しかも、夜は発電できないし。家庭用蓄電池を持つという手もあるが、電力会社からのエネルギー供給に頼らざるを得ない生活は変えられそうも無い。

とりあえずできる事は節電かな。先週から、東京電力はそのホームページで電力の総使用量を1時間毎に表示する事を始めた。グループ分けもさらに細かく表示するようになった。大事なことはその使用のピークの電力を下げること、特に昼間の。だから使用量の少ない夜中に洗濯機回すとか食洗器を回すとか、そんな形での協力はできそう。

たとえば、ネットへの書き込みだって、PC使ったら、10W必要だけど、携帯なら1W以下で十分。暖房やクーラーを効かせた部屋はひとつにして、そこで家族が暮らすとか。ライフスタイルを大きく変えなくったてできる節電はいろいろありそうだ

そして、これから
原発の事故と、その後の政府の対応についてはいろいろと思うところもあるけれど、放射能の影響についてもそれほど過敏になる必要はなく、ましてや首都圏から避難するつもりも自分はなく、粛々と節電に協力しつつ、募金という形で被災地への助けになりたいと思っている。