老いるという事

「私儀、高齢に伴い、年賀のご挨拶、今回で終了させて頂きたく存じます。」との、大学の教授より年賀を受け取った元旦。

義父は車検更新を機に車を手放すというし、趣味の山でのカメラ撮りも諦めたと。上手に老いて行く、それも人として大事なことと思えた。

この年の瀬に父君を亡くされた友人からメール。
2年前から、この日が来る事を察しておられた父君は「引継書」なるものを作成され、葬儀、連絡する相手、予算をきちんと準備されていたとか。
東証一部上場企業の役員まで勤められた父君、その几帳面さに感嘆するとともに、人生の終焉をどう締めくくるのかを、ふと思った。

この年末、実家に戻って親のパソコンのメンテナンスをして上げたという知人達の声を聞き、また、現役時代の立場を忘れられずに再就職の見つからない父親に現実を教え諭したという友人もいて、老いては子に従え、という言葉の通り、歳を重ねれば、自らの老いに向き合わなければならなくなる。

出来ない事がひとつひとつ増えていく事が老い、それはあたかも登った坂を降りて行くかのようだ。
始まりがあれば終わりがあって、登った坂はいつかは降りなければならなくて。

「老い」という事に思い巡らしたこの正月。

休みも終えて、さぁ、仕事