沖縄の米軍基地の事は、いずれ忘れてしまわれるだろうから

先週土曜日にジャーナリストの江川紹子さんと僕と憲法九条についてtwitterでのやりとりがあって、普天間と金(カネ)の責任をとって鳩山首相が辞任。

一ヶ月後の参院選では普天間は争点にならないだろうし、(そもそも与野党ともに同じ案だから)、多くの米軍基地が沖縄にある事は忘れられてしまうのだろうなと思うので、憲法九条と戦後の日本の平和と米軍基地の存在について、今思うところ書き留めておきたい。

5/29(土)にtwitterでのつぶやき交換

(江川さん) 安全保障についての具体的な構想がなく、いったん主張を押し切られた後、ずるずる押されっぱなしになると、イラク戦争の検証はおろか、次に同じような要求を米から突きつけられた時に、同じ(あるいはそれ以上の)間違いを犯すのではないか。この不安を鳩山首相は解消できるだろうか…

(私) 憲法九条は具体的な構想を考えるという国民の意識を放棄せしめている気がする。

(江川さん) 逆だと思う。9条を大事にしないところから、憲法に基づいた国づくりを考えることをしなくなっている

(私) 憲法9条を守るためには抑止力(攻撃力)が沖縄(国内)にあるのは矛盾する気がする

(私) 首相の言葉にも「抑止力」についての具体的な言及(例えば、仮想敵国はどこ、とか)は無かったし、「日米の強固な安全保障体制」という一言で、マスコミは済ませてしまっているし、国民もそれ以上は議論しようとはしない。

普天間の話は「抑止力」のひとことで、議論に終止符が打たれてしまった。
日本の平和が日米同盟の抑止力によって、保たれてきたとするならば、それって日本に軍事力が必要だったと認めたのと同じ。軍隊を持たないと決めた憲法九条とは矛盾しているのかもなぁ、と誰しも思うこと。戦後、本土の米軍基地は縮小されたのに、横浜だと本牧か?、1972年の復帰後も沖縄の米軍基地はほとんどそのまま。

そういう事実を知ってしまうと、憲法九条があるから日本は平和だという言っている護憲派の人達は、いくばくか後ろめたさを感じるのかもしれない。だからこそ、社民党の福島党首は県外移設に断固こだわったのだと思う。

米軍基地を沖縄においておく意味について、大前研一氏は米国は移転費用さえ日本がだしてくれれば、喜んでグァム移転を進めるだろう、沖縄に置いておきたいのは日本政府の都合だと書いているし、また、あるブロガーは海兵隊と空軍を一体化できないから嘉手納での統合は無理、というのは米国の軍の予算上の都合でしかないと書いていた。
鳩山首相オバマ大統領に、この件について全く取り合ってもらえなかったけど、交渉の進め方によっては国外移転もありえたのかも知れない。

マスコミは鳩山首相指導力のなさと叩くけど、本当のところはどうだったのだろう?
そもそも国内からの米軍撤退をどれだけ真剣に日本人は望んでいるのだろうか。そう鳩山さん自身が疑問を持ったので、国民が聞く耳を持たない、という退任の弁になったんじゃなかろうか、とも思う。

ただ、「九条、九条」と唱えているだけで平和が保たれると信じてしまう事は危険。
「抑止力」って何?安全保障とは何?という議論を重ねて、米国との関係、憲法のあり方、について議論を続ける事を避けてはいけない。

マスコミはなぜか指摘しないけど。