酒屋一筋四十年

時々ワインを買いに訪れる酒屋があって、その店の親父さんと近所のイタリアンレストランで席が隣になった。親父さんは集団就職で上京して、最初は酒屋の丁稚奉公から始め、独立して借金をして夫婦で酒屋を始められたとか。お客さんから酒に溺れた亭主の話を聞かされたりして、「自分の仕事はほんとうに人のためになっているのだろうか?」と自問自答した時期もあったらしい。

それでも親父さんが酒屋を続けたのはある日美味しいワインに出会って人生観が変わってから。親父さん自身、それほど酒に強い方ではなかったらしいのだが、無添加のワインを飲んだら悪酔いはしないしとても美味しかったのだそうだ。

それ以来、美味しいワインを一人でも多くのお客さんに知って欲しい、美味しいお酒を飲んで人生を楽しんで欲しい、そんな気持ちで金儲けは脇において、お客さんと接してきたという。

僕自身はワインについて語るほどのウンチクは持ち合わせていないので、その酒屋では、刺身にあうワインとか、チーズフォンデュを家でやるんだけどとか、そんな話を持ちかけてお勧めのワインを親父さんに選んでもらっている。「値段が高くなくったって美味しいよ、このワイン」と勧められて買ったワインは、いつも美味しい。

10年前から酒類販売は規制緩和により競争にさらされ、町の酒屋さんが次々と無くなっていったのは記憶に新しい。一家に一台自家用車のあるこの時代、瓶ビールを配達するだけが取り柄だった酒屋さんの存続は難しかろう。自分の仕事が人々のためになるのだろうかと自問して、四十年間お客さんに支持されて、昔ながらの商店街の一角で酒屋を続けることは親父さんにとっても平坦な道のりではなかったにちがいない。

最近ではワインのネット販売も増えてきたのだが、このお店はネット販売とは全く無縁。なのに、ネット検索すると次々とこのお店についての書き込みが目に止まる。

酒屋を続けている親父さん、裏表の無い彼の人柄が人を引き付けてきたのだろうなと思う。