バベル

今年の正月は天気もよく空青く澄み渡り、静かな正月だった。
何本かみたDVDの中で面白かったのを一つあげるとすると『BABEL バベル』。

ロッコ、東京、サンディエゴ(アメリカ)と三箇所で起きた事件はばらばらのように見える。特に、東京は役所広司演じるヤスジロウが所有していた銃がモロッコでの銃撃に使われたというだけの接点しかない。

旧約聖書に出てくるバベルの塔の伝説は、人間が神に近づこうとして高い塔を作り、それを知った神がそれまで同じ言語を話していた人々に異なる言語で話すようにさせ、お互いの意思疎通ができなくなってしまったというものだ。

映画のタイトル『バベル』が暗示しているように、三箇所で起きた出来事に共通するキーワードは『言葉』だ。

東京に住むろうあ者の菊池凛子ふんする女子高生智恵子は言葉(音声)によるコミュニケーションができない。母親が自殺してから、その悲しみをどう言葉にして感情として表してよいのか。そのすべを彼女は見つけきれない。唐突な彼女の行動の理由は? 刑事に渡したメモの内容はなぞのまま。

ロッコで妻が銃撃されてしまったブラビが演じるリチャードは言葉の通じない異郷の地で必死に救援を求めるがままならない。

サンディエゴでリチャード邸の留守を預かるメキシコ人家政婦アメリアは預かった子供と共に国境を越え息子の結婚式出席のためメキシコに渡る。そして帰国時の入国管理所での甥の違法行為により強制送還され、十数年間働いてきたアメリカの地を追われる。アメリカとメキシコ、車で数時間でしか離れていない両国の間には厳然たる経済格差が存在する。舗装されていないメキシコの道路と快適なサンディエゴのアメリカ人住宅。

彼らが固定化された格差を受け入れているのは、国が違うから、そして言葉が違うから。

人は自分と異なる言葉を話す異国の人に対しては親切に接することはあっても、心は開きようがない。
言葉が通じないということの意味を深く考えさせてくれる印象に残る映画だった。