先の大戦とその後続いた平和な日本 終戦記念日に思うこと

憲法九条を支持する人達は、九条があったから日本では戦争がなかった。これこそ世界で唯一の被爆国日本が誇りにしていい憲法だと主張する。でも、戦争が起きなかったのはこの62年間での世界の政情がもたらした結果に過ぎず、もし朝鮮戦争に米国が敗れて、共産主義日本海を渡っていたら、日本も戦場になっていたかも知れない。

九条は太平洋戦争で日本軍に散々手を焼いた米国の都合で作られた憲法であって、その九条があったから平和が維持できたと思い込んでしまうのは米国の術中にまんまとはまったようで面白くない。

戦後、米国の日本占領政策の中で、米国がフルブライト留学など多くの日本人留学生を受け入れ、戦後の復興に大きな貢献を果たしであろう事、米国市場を日本に開放し、特許を比較的自由に使わせたりと戦後日本の再建に大きな役割を果たしたであろう事、おそらくはキリスト教的慈悲の心で貧しかった日本を助けてくれた、これらの事は忘れてはならないだろう。

それでもなお、原爆を2回も落としたこと、それは我々が有色人種であったためかも知れないし、ソ連の参戦を防ぐためであったかもしれない。その事も肝に銘じて起きたい。

戦後成長を遂げた日本企業のトップは口には出さなかったが、戦争で負けたことの悔しさをばねに経済活動に多大なエネルギーを注いでいったと思う。戦争経験の無い戦後育ちの企業トップの言葉に重みが無いのもうなずける。

経済活動の活性化のためにはグローバリズムを追う事より、ナショナリズムの方が欠かせないと韓国企業の成長ぶりを見て感じる。

沖縄ひめゆり、広島、長崎、等の戦争の悲惨さを訴える記念資料館を見た時には、二度とこんな戦争は起してはいけないと思った。

平和を求める事とナショナリズムを放棄する事とは違う。

日本民族である事をやめて一体何になるというのか。世界市民?国連主義?そんなものは妄想に過ぎない。日本語以外の言葉で自分を語る術を自分は持たない。

日本人以外にはなれないと自分は思う。