斑鳩の里、法隆寺より

先週は京都の美術館作品の展示について書いた。京都に次ぐ古都といえば奈良。

いつか訪ねてみたいと思っていた斑鳩の里、法隆寺宝物展が東京藝術大学美術館で開催中との事で日本橋から上野へと足を伸ばしてみた

法隆寺金堂の壁画は戦後火災により焼け、その修復に東京藝術大学の若い芸術家達が参画した。仏教芸術に彩られた壁画に囲われた金堂は、キリスト教システィーナ礼拝堂のような目的で作られたのか。

先に明治の工芸品に触れたためか、壁画も仏像もさほど、技工を凝らしたようにはみえず、菩薩、観音、毘沙門天、吉祥天、の違いも分かっていない不勉強な私には心訴えかける所が少なかった

法隆寺聖徳太子信仰のメッカ
聖徳太子没後、鎌倉、江戸、これらの時代において聖徳太子にちなんだ芸術作品が作られこの寺に奉納されている

展示会場の中ほどに年表

太子で皇室威光見ん 593年
十七条の憲法 ろんまるし 604年
大化の改新、むつかしい 645年

というのは、子供の頃に社会の授業で丸暗記させられた年号で、今と違って記憶力の良かった当時、今も忘れていないのはなんとも不思議

法隆寺百済観音があって、遣隋使を派遣して、なんて事を振り返れば、当時、日本が大陸(中国)や半島(韓国)から、多くの文化的影響を受けていたのは明白で、古墳の調査から、天皇家の由来が半島にあるという学説もあるらしい。

歴史教育というのは日本という国家の成り立ちの正当性を、子供達に教え込む事にあったのだなと、年号を未だ暗記している自分の事を振り返って思う。

戦前の教育を受けた僕の父は、神武天皇から始まる天皇の名を全てそらんじていた。戦後、天皇の神格化が見直され、今歴代天皇の名を覚えているのは日本史を選択した受験生位なもの

安倍首相は高校での日本史の必修化を提案したとか
偏差値30から慶応にうかった金髪ギャルのさやかちゃんは「せいとくたこ」って、どんな女の子?と読み違えていたらしいけど、1万円札からその肖像が消えたとしても、聖徳太子は覚えていて欲しい(笑)