宮崎アニメに描かれた、ゆったりとした「時間の流れ」
「風立ちぬ」を観た時に、もしかしたら、と予感がしてたけど、宮崎駿が引退した。
「プロフェショナル 仕事の流儀」の中でジブリの鈴木プロデューサも語っていたけど、「崖の上のポニョ」の車の疾駆する場面に宮崎氏の老いが感じられて物足りなかったって。僕もポニョは途中で眠くなってしまっていた。
ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫、から感じ取れるのは文明への批判と自然への畏怖。トトロ、千と千尋、は、この三つの作品とは異なるテーマにトライした意欲作。
そして、その後の、ハウル、ポニョ、と新しい物語を作りあげようとしていながら、印象に残る作品が作れずにいた。
本人自身その事を感じていて、今度の「風立ちぬ」は観客の受けに捕らわれるのを辞め、最後に自分の描きたかった作品を作って終わろう、そう彼は考えていたと思う。
同僚が「風立ちぬ」を見て泣いたと言っていた。
飛行機が作りたかった、その思いは殺人兵器となってしまった、その事への想いを語る主人公の場面で。
でも、その時、映画館で隣に座っていた大学生達は、つまんねぇなと退屈そうにだべっていたのだとか。
30半ばのくだんの同僚は、モノづくりに携わる技術者として感極まるものがあったと言っていた。感動して涙流すようになるにはいくばくかの人生の経験が必要だということだろう。
かけがいのない親しい人との別れ、身近な家族との葛藤、旅での出会いや刺激、仕事での達成感、様々な経験を重ね、人は作品と自分を重ね合わせて涙する。
「それについて語る言葉」が多ければ多いほど、多様であればあるほど、賛否いずれにせよ解釈や評価が一つにまとまらないものであるほど、作品としては出来がよい。
そして、また内田氏曰く、
「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」
宮崎が描きたかったのは、私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのものではなかったのか。
http://blog.tatsuru.com/2013/08/07_1717.php
この内田氏の映画評を心に留めておくと、また違った「風立ちぬ」の見方が出来ると思う。
繁栄に浮かれた日本に頭に来たからナウシカを作ったと引退の会見で言っていた。
そして、東日本大震災の惨状を目の当たりにして、少女がおとぎの世界に行くファンタジーを描いている時代ではないと感じたという。
グローバルな競争に晒されて、追い立てられるように、経済の発展に邁進しても、ふと我に立ち返って、自分を取り戻すのは、日本の自然の風景に包まれた時なのではないか。
手書きにこだわった宮崎アニメの新作が世にでる事はもう無くなった
寂しくはあるけど、これでいいのだと思う