内田樹 リーダーシップは涵養できるか?

http://blog.tatsuru.com/2008/08/20_1610.php

つねづね申し上げているように、私は「リーダーシップ」とか「エンパワーメント」とか「社会進出」とかいうことばで教育の目的を語ることを好まない。
好まないどころか、それこそが今日の教育崩壊の構造的な原因であると考えている。

もし高等教育機関が生き延びるために、「より多くの権力、より多くの財貨、より多くの情報、より多くの文化資本」を卒業生に保証するようなシステムを構築することが必要であると考えている大学人がいるとしたら、私はその大学の未来に対して悲観的にならざるを得ない。

大学がリーダーシップ養成というか企業で役に立つ人材の育成を目的として教育をしているわけではない、という意見には賛成。

繰り返し書いているとおり、学校の本義は、「支配的なイデオロギーに対する対抗文化の拠点」「均質的集団内部における特異点」「外部への通路」であることに存すると私は考えている。

この文章は理解しにくいが、大学が文化の担い手になるという事なのか。

ところで、このブログの文頭には、電話取材で「女子大の存在意義」について訊かれたと書いてあるが、その事についての回答は文中に見受けられない。大学の本義については述べてはいる。だが、なぜ女子大なのか?という事についての内田先生の見解は見受けられない。